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有神論的サタニストとしてのプロダクトデザイナー活動

はじめに: 楽園追放

蛇は女に言った、
「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

〜創世記第三章四節〜

※この記事は SmartHR Advent Calendar 2020 24日目の記事です。

ばずびばざーぶらっくれくきゃりおすおぜべっとなちゃっくおんえあもえほうえほうえーほーうーちょっとてまやなさぱりおうす(挨拶)
SmartHR チーフ・サタニック・オフィサー(CSO)のおうじです。役職は嘘です。
昨年に続きまして、今年もアドベントカレンダーを書かせて貰えることになりました。
例によってサタニズムのお話しです。そろそろこの時期の風物詩として認められてもいいかなと考えています。
時節的なネタだと思ってご笑覧ください。あくま(悪魔)でも。

サタン教会派サタニズムと有神論的サタニズム

前回の記事では主にサタン教会派の現代的サタニズムについて紹介しました。
サタン教会派のサタニズムでは悪魔と名のつくものも含めてあらゆる神を信仰しません
「自身の行いや考えをいかに発展させていくか」という個人主義的な思想であって決してオカルティックなものではないと説明したところ、社内外から「思っていたイメージと違った」との声をいただきました。

今回取り上げる有神論的サタニズムは、その名の通り神の存在を肯定する思想です。
サタンや悪魔といった超自然的な存在を肯定し、それらにコンタクトをとって知識を得たり自身を高めることを目的としています。
有神論的サタニズムは伝統的サタニズムや霊的サタニズムとも呼ばれ、儀式生贄といったオカルティックな活動を行うこともあります。
イメージとしては非サタニストの(と信じてやまない)多くのみなさまにも馴染み深いものではないでしょうか。

儀式や生贄などと書くと技術ブログの題材としてふさわしくないようにも思えますが、有神論的サタニズムの活動は、プロダクト開発者としてのデザイナー活動と驚くほど似ている部分があります。

今回は「活動」という点で有神論的サタニストとプロダクトデザイナーの類似点を紹介します。

「儀式」という知的探求活動

冒頭でも紹介した通り、有神論的サタニズムでは儀式という活動を行うことがあります。
儀式の具体的な工程・内容については伏せられていることが多く、ここでも紹介はしません。

なぜ有神論的サタニズムで儀式が行われるのかというと、多くは超常的な存在から知識を得られると考えられているからです。

創世記においてアダムとイブに知恵の実を食べることを勧めた蛇をサタンと同一視することから、有神論的サタニズムでは知恵を得ることはなによりも尊ばれます。
そして、人類にはじめて知恵を与えた存在であるサタンにコンタクトすることにより高度なグノーシスを得ることができるのです。
そのコンタクトの手法こそが「儀式」なのです。

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我々プロダクトデザイナーも儀式と似た活動を普段行っています。
それがデザインレビューであると私は考えています。

デザインレビューは自己の成果物を他者に批評してもらうことにより成果物の精度を上げることが主な目的ではありますが、副次的に個人の知識獲得という目的も果たすこととなります。

SmartHR のような複数のデザイナーが複数のプロダクトを分担しているような環境ではデザイン成果物が各プロダクトで閉じられがちになってしまいます。

しかしプロダクトのユーザーにとってはいずれのプロダクトも「同一の SmartHR 製品」として捉えられるので、デザイナーが個々の知識の範疇のみで成果物を作ってしまっていては共通の体験が作れず、ユーザーの負利益となってしまいます。

そうしたことを防ぐためにも我々プロダクトデザイナーはデザインレビューという儀式でお互いの知識を高め合うのです。
さながら集合知というサタンとコンタクトを取るが如く

「闇の理神論」とリバースモデリング

理神論とは、キリスト教において神の実在を合理的に解釈しようという考えです。
サタンや悪魔といった超常的な存在を肯定する有神論的サタニズムにおいても理神論が語られることは多いです。

サタニズム全般における重要人物である、かのアントン・ラヴェイ氏も理神論や万有内在神論を奉じており、曰く、サタンは自然の中に存在する、即ち闇の理神論であると語っていました。
※サタン教会は後に無神論へと転換するにあたりラヴェイの闇の理神論とは距離を置いています

この闇の理神論については有神論的サタニズムの中においても賛否の多い考え方ではありますが、我々日本人にとっては自然宗教と近い考え方であるのでとっつきやすくはあります。

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我々プロダクトデザイナーにとって「自然」とは既存プロダクトのことであると私は考えます。

人(デザイナー)より先に存在し、抗えない力をもった既存プロダクトはまさに自然の持つ力と同等の抗いがたさを我々にもたらします。

しかし、サタンが自然=既存プロダクトの中に存在するのであれば、サタニストたる我々デザイナーは既存プロダクトの中に叡智を見出し、その根源にコンタクトを取る必要があります。

我々が直面するほとんどの既存プロダクトはデザイナーが入社していなかったフェーズから存在しており、ドキュメントやコンテキストが残されていないことが多いです。

我々はドキュメントやコンテキストで容易に既存プロダクトというサタンとはコンタクトを取れないのです。
自然の中に潜むサタンに対しては我々が普段行っている教科書どおりのお行儀の良い設計プロセスなどは役に立ちません。

悪魔的な儀礼に則るのであれば、我々は通常の手順を逆に辿るべきです。

要件定義〜モデリング〜画面設計というプロセスを逆に辿り、画面をリバースモデリングし元々あった要件を見出すのです。

逆しまであることを悪魔は好みます。
手順を逆転させ、常識を裏から覗けば、そこから悪魔への道が見えてくるでしょう。

デザイナー組織の理想としての「生贄」

SmartHR プロダクトデザイングループではこれまで「七つの大罪」を網羅することを目的として採用活動を行ってきました。

多くの方に興味を持って頂いたおかげで現在七つの大罪を網羅するに至り、ようやく次のフェーズに入ることができました。

よく「七つの大罪が揃ったら次はどうするんですか?」と聞かれます。
ひとつの解として「七つの大罪は古代エジプトではもともと八つの大罪(枢要罪)であったのでもう一名募集しています」という説明をしたこともありますが、我々にはさらなる目標があります。

SmartHR プロダクトデザイングループは現在の大罪メンバーを生贄としてより高位なデザイン装置を産み出したいと考えています。

有神論的サタニズムにおける「生贄」とはより高位な存在を招致するための供物です。
諸説ありますが、高位な存在とは往々にして物質世界との繫がりが薄く、依代となる肉体を必要とします。即ち受肉です。
私たちは自身を生贄にしてより高位な「一個」を受肉させたいのです。

前前段の「儀式」の項でも書いたとおり、複数プロダクトにおけるデザインは分担を行いながら知識の集合が求められます。

「生贄」とはなかなかに物騒な物言いではありますが、その実、各デザイナーの個ではなく組織としての個が既に必要になってきています。
組織として「一個」になることとは即ちデザイナーとしての「個」を組織の生贄にすることです。

そうした無私のデザイン活動こそが真のプロダクトデザインに繋がると信じてやまないのです。

終わりに: 失楽園

主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。

〜創世記三章二十二節〜

以上の通り、有神論的サタニズム活動とプロダクトデザイン活動においては非常に似通った価値観があることがおわかりいただけたでしょうか。

デザインレビューという儀式を行い、既存プロダクトというサタンと邂逅し、自らを生贄にする我々プロダクトデザイナーは紛れもないサタニストであると私は考えています。

最後に、有神論的サタニズム団体である Temple of the Black Light とも親交の深かった故ジョン・ノトヴェイトの名曲でお別れしましょう。

皆様にもサタンの叡智がもたらされますように。

※この記事の内容は個人の見解であり所属組織のカルチャーや意志とは関係ありません。あくま(悪魔)でも。

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