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「やすお」と「化物語」と最大幸福社会と最小不幸社会

読み切り漫画「やすお」が凄いし面白いです
で今回ネタバレがあるので、嫌な人はまず読んでください

そろそろいいかな?

この話って有名なオメラスの街(ル=グィンの小説「オメラスから歩み去る人々」)問題でもあるなと思います。で、最大幸福社会=最大多数の最大幸福(byベンサム)の話でもあるなと。

題材は何でもいいのですが、少数の人が犠牲になれば、多くの人が幸せになる・・・としたときに、この社会は正しいのか? という問題によく使われる題材です。
自分もサンデル教授の本で初めてしりました。

やすおを読んだあと、気持ち悪い気分になったり、「この女!!」と思った人は、たぶんこの「最大幸福社会」に無意識のうちにNGを出したのだと思います。

それに対して「最小不幸社会」ってのがありまして、ひらたくいうと「最大多数の最小不幸」。多くの人の不幸が一番少ない状態を正義としましょうという理論です。

最近週刊少年マガジンで連載中の漫画版「化物語」でも「全員がちょっとずつ不幸になる結末」ってのが出たので、それのことです。

今の所、この最小不幸社会ってのがより今の時代の正義に近いのだろうと感じてます。それはみなさんも「やすお」と「化物語」を読んでみて感じたものがそうなんだと思います

で、最大幸福社会と最小不幸社会を理解してもらったところで、何が正義なのか。自分がやっていることは正しいのか? となったときに、「自分のやっていることは多くの人の不幸を減らしているのか? 増やしているのか?」で判断するといいと思ってます。例えば、


ケース1:転売ヤーが存在すると
・一部の人は大金を払えば手に入らなかった物が手に入る(幸福)
・一部の人は定価以上の高額な物を買う羽目になる(不幸)
・多くの人は買い占めによって物が手に入らない(不幸)
・売る側はキャンセルリスクや、買い占めによる空席、デッドストックによる、見てくれる(遊んでくれる)人が減少し、SNS等のバイラル宣伝効果の減少(不幸)
→ 多くの人の不幸が増大する →


ケース2:無人駅がバリアフリーじゃない。事前に連絡無しでも車椅子で下車させろと主張する
・乗降者数の少ない無人駅を利用する車椅子の人は幸福になる(少数の幸福)
・事前の連絡もなくスクランブルで車椅子に対応する駅員は不幸(少数の不幸)
・その対応にあたる駅員の給料や、無人駅のバリアフリー代金を負担する利用者は不幸(多数の不幸)
→多くの人の不幸が増大する→


という風に、社会全体の不幸の増減を想像して、善か悪か判断しましょうという話です。で、その想像ができない人ほど自分を正義と勘違いするし、聞く耳も持たないので厄介だなと思い出した。

自分の中に他者を作り出し、その他者がどう思うか想像することは非常に大事。そしてそれができる人は意外に希少でもあります。
また別件ですが、「他者と一緒にアイデアを出す方がひらめく」そして「自分の中に他者を作り出せる人は、一人でも同等のアイデアがひらめく」という話もあります

このあたりはまた別のnoteで

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