ネット前、後の経済はゲームチェンジしすぎて、お爺ちゃん経済学者には理解ができないかもしれない話

転売ヤー論争がちらほらTLを賑わせていますが、なんとなく「この大前提を忘れていないかい?」と思うのが、インターネット前と後で物を売り広めるという行為がかなり変わっているということだと感じた話です。

(追記)転売ヤー養護の人がよく言う言葉「小売店が販売価格を上げればいいじゃない」

より資金力がある(儲けるために金に糸目をつけない)転売ヤーが市場からかっさらって、さらに高い値段で転売するだけだよね。構造がナニも変わらん。PS5をいちいちオークションで競り落とす? 店頭で? 買うのに何時間かかるの?

転売ヤー養護の人がよく言う言葉「安く買って高く売るのは商売の基本」

伊集院さんがラジオで話していたことで、ガンプラブームやファミコンブームのときに不当に値を吊り上げたり、抱合せたりしていたお店は恨みを買った。そしてブームが去った後に客からそっぽをむかれて潰れた。という話。なので「安く買って高く売るのは商売の基本だが、やりすぎた奴はその後市場原理で退場をくらう」という自浄作用が働いて結果適正な範囲で落ち着いていたのだろうと。

ではネット後、どうなったかというとオークションサイトやフリマアプリ、チケット販売サイトのせいで、恨みを買ったらとっととアカウントを作り直して再入場すればよくなったと。結果、自浄作用が働かずにやりすぎる人間がずっと市場に残り続ける結果になったのではないかと思っています。この市場への入場と退場の身軽さは、「泥棒市場の民主化」とも言いかえられるのではないかと考えています。その結果が前世紀(ネット前)と同じなのか? 自分は違うと思っているので前世紀の理論は通用しないと思ってます。

転売ヤー養護の人がよく言う言葉「転売ヤーが全部買い占めてもメーカーに入るお金は一緒だからいいじゃん」

これも今世紀にナニかを作って売った経験の無い人の言葉だと自分は感じてます。

買った人間は「俺これ買ったぜ!」とSNSで言いたくなるものです。それを見た人がまた「なら俺も買いたい」と思うようになり、買う。SNS時代において物を買ってもらうことはすなわち次のお客への宣伝にもなるのです。また昨今の商売はSNSで言いたくなるものを作るというのも主眼に置かないといけないと思ってます。

ではまた伊集院さんネタですが、伊集院さんが落語の公演を行うとして、1000席用意したチケットを
A:全部一人の転売ヤーが買った
B:1000人の人間が買った
短期的な利益は同じですが、Aの方はそれ以上広がりません。Bの方は「俺言ったぜ。面白かった」とSNSであげられることで、1000人以上の人の目にとまり、次はもっと多くのキャパの会場を借りれるかもしれません。その1000人のうち1%でも落語の面白さに目覚めたら、その10人が別の落語家の落語をみにいき、落語会の全体の底上げになるかもしれません。

Aの場合はそれが絶対に起こらない。なので上の論法を使う人は短期的な視点でしか物事が見られないか、SNSによるバイラル効果を体感したことが無い人だなーと思うのです。

こんな感じで、インターネット後の世界において、インターネット前の経済学の論理は通用しない(全部とは言わないけど)のではないかなーと最近考えていますが、そこらへんに着手した話ってあるんですかね

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