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35歳でプログラムをはじめ、43歳の今、人生で一番プログラム書いている話

話の結論としては、人生何かを始めるのに遅すぎるってことは全然無いって定番の話です。

そして開始早々ですが、若干タイトル詐欺なのが、まったく未経験ではないってこと。中学の頃はマイコンベーシックマガジンに投稿されていたプログラム(主にゲーム・ミュージック)をちょこちょこ打ち込んでいたし、入社したコーエーでは、企画であっても担当プログラマーが書いたマジックナンバーを説明できないとどやされるなど、ロジックや仕組みについては把握してました。

ことの発端は2011年の12月。師匠広井王子からふらっと呼び出され、帝国ホテルのラウンジで話していたときのことです。

「おい桜花。知り合いの金持ちがスマートフォンでゲーム作れる人を探しているけど誰かいないか」
「はい、自分できます。やりますよ」

と即答し、別れ、タクシーに乗り込んだ師匠をお見送りしたあと、顔が青くなる。もちろんできるわけがない。マフォアプリなんて作った事も無いし、プログラム自体10年以上書いた記憶がない。

そういえばUNITYなるものがあって、それを使えばスマホアプリが簡単に作れるらしい。というのを覚えていた自分は、帰りに本屋に飛び込み、よさげなUNITY教本を買いました。

ちょうど会社の冬休みの始まりでもあり、毎日昼に起きて早朝までUNITY教本をトレース。これを7日間。
続く3日間でXSIでモデリングとモーション、プログラム。
そして11日目朝にアプリが完成。当時ベッキーがキーホルダーをガチャガチャつけていた時代で、それをスマホ内で電子キーホルダーとして飾るというものでした。

そのアプリを持ち込んで、11日目の昼にお金持ちと初対談。場所はペニンシュラホテル。結果といえば、うまくいかなかったわけですが、この経験によって「プロトタイプくらいなら誰の手も借りれず作れる」という自信になったのです。

その後楽しくなって色々とUNITYでプロトタイプを作っていたら、2013年にOculus Rift DK1が届き、一気に加速。2014年には会社を辞め独立。2016年には起業。そして現在、人生で一番プログラムを書いているという日々です。(先日メモリー解放のタイミングで四苦八苦してました)

とはいえ純正エンジニアってわけではなく、営業兼企画兼デザイナー兼エンジニアなので、エンジニア力不足の箇所は企画と営業でカバーという、純正エンジニアの方が見たら冷ややかな目線を送る場面も多いと思っております。

そんなこんな言っていたら、43歳の人生で初のCSSってのを触って自社のWEBサイトを作り直しました。とりあえずテンプレを差し替えるくらいならできた。

株式会社 桜花一門のサイト

人生は縮小することなく常に広がり続けていく。
来年はどんなことをしているのか、自分でも想像がつかないので楽しみです

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