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生きていくということ

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私が生きてきて思ったことなど。主に毒親関連の記事になります。
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私は今、少なくとも3回は私を殺そうとした母と二人でディズニーランドに行く約束をしている。

私は今、少なくとも3回は私を殺そうとした母と二人でディズニーランドに行く約束をしている。

タイトル通りの狂気の話なんだけど、良かったら私の悩みを聞いて貰えないだろうか。

私の母親はいわゆる「毒親」というやつで、私は運良く幼少期をサバイブしてしまった被虐待児である。どのくらいの毒親加減かと言うと、暴力以外が虐待と認められなかった平成初期に母の言動だけで病院への保護入院が決まったレベルの毒親加減である。私はそこで小児の精神科というやつに入院し、虐待という認定を受け色々な検査やカウンセリン

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赦すということ

赦すということ

私は明日、誕生日を迎えて32歳になる。母から虐待を受け、逃げるように結婚し、親元から距離を置いてやっと10年だ。

残念ながら、この10年で母のことを忘れたことは無かった。恐れ、恨み、恋しさ、許し、愛情や憤怒など、本当に色々な感情と一緒に母を想っては苦しみ喘いできた。

誰かのことをこんなに長く思い患ったのはきっと私の人生において、母をおいて他にいないだろう。夫に対して申し訳なく思うほどにはその頻

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心の中に住んでいる小さな私の話

心の中に住んでいる小さな私の話

人は子どもの自分と納得してさよならができたとき初めて大人になれるのではないだろうか。最近私はそんなことを思うようになった。玩具を買って貰えなくて床を転げ回る子どもがいつの間にか我慢を覚えるとき、それは「転げ回る自分」から上手に卒業できたからじゃないかと思うのだ。初めて一人で着替えができたとき、一人でお留守番ができたとき、一人で買い物ができたとき、今までできなかった自分に「もう大丈夫だよ」と別れを告

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毒親の話①

毒親の話①

私の母は私のことを正しい意味では愛していない人でした。女性という性別で生まれた私は価値がなく、お金がかかるくせに役に立たない、というのが母の言い分でした。

とにかく色々なことをされました。幼少期は些細なことで体が浮くほど叩かれたりする体罰。言葉の意味がわかってくる頃には「要らない子」「橋の下から拾ってきた」「弟くんだけでよかったのに」という言葉の攻撃。思春期には洗濯や風呂の制限。高校生の頃に

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