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ロサンゼルスのカフェで聞いた「自信をなくしている時の自分の特徴」についての話

 二〇一四年の十二月に、ロサンゼルスでのグループ展に参加した時、一緒に参加したアーティストさんが、カフェでの展示を紹介してくれた。折り鶴と自作の飴を使った小さな作品を持っていき、カフェの壁に飾ってもらう。オープニングには、参加アーティストやその友達も含め、たくさんの人が訪れた。

 淡い茶色の髪の彼は陽気な性格で、「そのほうが楽しいだろ?」っていうのが口癖だった。いろんな人に話しかけては笑いを取って、テーブルを渡り歩く。私の作品が自作の飴なことを知って、どうやって作るのかを知りたがる。目玉の模様の飴を作れるかな、自分の目玉を食べるんだ。おもしろいだろ?彼はジェット機みたいなスピードで次々と話をして、とても口をはさむ隙がない。そのうち彼は、自分の作品をカバンから出す。アニメのような絵が描かれているそれは、目と口が異常に大きくて、右手が三本あった。

「こいつさ、右手が三本なんだ。左手がなくっていつも不便な思いをしてるんだよね、な、おもしろいだろ?見てよ、こいつの表情」

 絵は好きではないが、彼の感性は好きだなと思って、私はうなずいて笑う。何より、自分がつくるものをすごく好きなのがよく分かる。そういうと彼は言う。

「自分の作品にも、自分自身にも自信があるからかな。これはいいって」
「すごいなー、それ、うらやましい」

 二〇一一年に絵を描き始めた時、私はあきらめる方法を探していた。アートで生きていこうなんて、たぶん獣医になるより厳しい。中途半端に褒められるせいで、なんとなくすがってしまう。でも、褒めてくれるのは、きっと友達だけだ。ちゃんとした人に見てもらって、ダメだって言われて、それであっさりあきらめる。そうしてもっと確実なことがしたかった。安定的なこと。この世界に不変的なことなんて何もないとしても、不安定な場所に踏み出す勇気がもてなかった。

 二〇一三年の一月に初めて個展をやって、こういうのをやりたいなって思ってから、少しずつ、少しずつ気持ちが変化してきた。それでもいつも自信はなくて、人の作品を見るたびに技術やアイデアをうらやましく感じていた。

「自信がないっていうのはね、自分がうまくいかないことを探している時なんだよ」

 彼はそう言う。

「ぼくもさ、こんな絵だろう?子どもの落書きみたいでさ。実際に何度もそう言われたし。こんなの売れるわけないって、自分でも思ってたんだ。もちろん、自信もなかったし。それでも他になにもできないし、したいこともないし。今日もとりあえず、漫画読むか―ってさ、な、あるだろ、そういう時期って。それでさ、ある時ね、外で描いてたんだ。これでもう最後の一枚にしょうって思って。このくらい、けっこう大きいやつを」

 彼は両手を広げ、一メートルくらいのキャンバスのサイズを示す。

「そしたら、それを買ってくれた人がいたんだ。すごい金額じゃない。五十ドルだよ。でも見知らぬ人が買ってくれたのがうれしくてさ。それが最初で、本当に小さな自信なんだけど、第一歩になったんだ。それから、同じように外で描くようになって、話しかけてくる人がいたら、笑わせるようになった。ぼくはもともと、そうやって人を楽しませるのが好きなんだ。ぼくの絵を見て大笑いする。それがやりがいになって、どんどん描けるようになってきた。アイデアだってさ。今はバンバン浮かぶんだ。もう手が足りないくらいでさ。右手だけでもいいから三本欲しいくらいだよ!」

 彼はタレた目を大きく開けて自分で笑い出す。それを見てると私までおかしくなってくる。彼は口の端をにやっと上げ、右手の人差し指を立てながら言う。

「自信なんてきっと、存在しないんだと思う。自信がないって思ってる時は、うまくいかない可能性を探している時なんだよ。自信があるっていうのは、うまくいく方法を探している時のこと。どっちも探している行為なら、うまくいくことを探したほうがさ」

 彼はそこで言葉を切り、立てた人差し指を前後に揺らす。

「そのほうが、だんぜん楽しいだろ?」

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