ウサギのマリー 第14話
(人間であることがバレたらまずいのか)
マリーは亀に視線を向けたまま黙る。
「人間であることは、他の人にばれないようにすること。それはキミのためでもあるし、世界のためでもある」
目を覚ました時にクマの医者が言っていた。私のためでもあるし、世界のためでもある。
「だったら何?」
私も世界も好きじゃない。なら守る必要なんてないはずだ。
マリーがそう言った途端、亀の頭がロケットのように吹き飛んで、首から赤いランプが生えてきた。ランプは回転しながら周囲に赤い光線を振りまき、さらに甲高い音を立てる。
「ビーーーーービーーーーーーーーーーービーーーーーーーーーーーー」
「な、なに」
音に気づいたぬいぐるみたちがマリーの方を向く。彼らの首も次々と吹き飛び、同じように赤いランプが生えてきて回転し始める。彼らは両手をマリーのほうに突きだしながら、よろめくように近づいてくる。
「マリー!こっちに、早く!」
ハサミのギルガメッシュが道路わきの植え込みの陰からマリーを呼ぶ。マリーは走り寄りながらギルを左手でかすめ上げ、ランプの光を避けるようにビルの隙間に走り込む。
マリーは水色に黄色の水玉模様が入ったビルに飛び込み、ちょうど開いていたエレベーターに乗り込んだ。最上階の十五階のボタンを押し、急いで閉じるボタンを押す。けたたましい笑い声が流れながらスムーズに扉が閉まり、エレベーターが動き出した。
「今の、なに?」
ギルのことを完全に信用しているわけではない。でも今は、この世界について知らなさすぎる。
「分からない。でもなんかよくない感じだ。『夜』が関係してるのかもしれない」
「周りのぬいぐるみはみんな、あの変な赤いランプに変わったのに、あなたは?」
「オイラ?」
「そう」
マリーは左手を自分の目の前に持ってきて、ギルのハサミの身体をチェックする。特に前と変わったところはないようだ。
「そうだね、どうしてだろう、オイラは特になんともないよ。あの亀の首が飛ぶ前に、マリーはなんか言ったりした?」
自分が人間かどうか。ギルはすでに自分が人間なことを知っている。だって、私が名前を付けたんだから。
「名前。私が名前を付けてない生き物に人間であることが分かると、何かまずいことがあるんだわ」
エレベーターの扉が開く。何もない広い部屋にところどころ崩れた壁。梁がむき出しになっている天井からは黒いコードがいくつか垂れ下がっていて、周囲の窓の一部にはヒビが入ってい「る。マリーは窓に走り寄って下を見る。赤いランプが数を増やしながら、ビルの隙間を埋めていき、まるで赤い水が浸み込んでいるように見える。もう下には降りれない。それどころか、いつかここだって見つかってしまうはずだ。
「このビルに名前を付けて動かすことはできる?」
「もちろん」
マリーはうなずき、ギルを地面に下す。周囲に目を走らせながら、名前が浮かぶのを待つ。ケント、ジャック、ララ、ユウナ。さまざまな名前が脳によぎるが、どれもしっくりこない。
「あ、『阿』ってどうかな」
「ア?」
「うん」
「それって名前?」
「そう。なんか変だけど、それが一番いい気がする」
マリーは部屋全体に声が届くように目を走らせながら言う。「ねえ、起きて。あなたの名前は『阿』」
ビルは上下に激しく揺れ始め、マリーは片手を床につく。窓に目を向けると、ビルの下のほうから砂煙が上がっているのが見える。ビルが、立ち上がろうとしているんだ。
「コココ、コンニチワ」
天井の梁に設置されていた小さなスピーカーから、声が聞こえてきた。ジャリジャリと濁った音は、徐々に鮮明になる。
「ナマエ、アリガトウ、アナタハ?」
「私はマリー。ねぇ、変な奴らに追われていて、すぐここから逃げたいの、手伝ってくれる?」
その時、いつの間にか階下に降りていたらしいエレベーターの扉が開き、首から上が赤いランプに変わったぬいぐるみのライオンや怪獣、黒い犬が姿を見せる。
先頭のライオンがエレベーターから出ようとした瞬間、扉が勢いよく閉まり、ライオンの頭のランプを粉々に砕いた。
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