栗原心愛さんの死(1) 父の「しつけ」で殺された小学4年生の件

▼沖縄県糸満市で、千葉県野田市で、その女の子は何度も大人にSOSを訴えた。お父さんから殴られている、と。

しかし、最後の小学校では父親からの虐待があることを伏せるようになった。

▼女の子の傷を見た子もいた。虐待に気づいた大人もいた。しかし、最後の小学校では、女の子はもうSOSを訴えなくなったのだ。

▼その間、ずっと女の子は虐待され続けていたのだろう。そして父親の「しつけ」によって命を奪われた。父親は、自分の行動を悪いとは思っていないという。

▼この絶望。この孤独。この恐怖。

▼教育委員会とか、学校とか、児相とか、けっきょく「組織」には意味がないのだろうか。少なくとも、殺された女の子にとっては意味がなかった。というよりも、彼女はこれらの大人の組織に裏切られたのであり、それは絶望の対象であり、敵ですらあったかもしれない。もう、女の子の思いを聞くことはできない。死んだからだ。

▼この事件について、全国紙、ブロック紙、県紙を幾つか読んだ。そのなかから、2019年2月1日付の徳島新聞「鳴潮」を引用する。

千葉県野田市立小4年、栗原心愛さん。私は大人の一人として、謝らなければなりません。周りの大人がしっかりしていれば、あなたは今も元気でいられたはずなのです

 沖縄県糸満市にいたころ、友達に打ち明けましたね。「お母さんがいないと、お父さんにパーでたたかれ、とっても痛い」。体には多くの古いあざがありました。お父さんをかばって「パー」と言ったのですか

 引っ越してからは、さらにひどくなったのですね。児童相談所の人はこう聞いたと話します。「父に背中や首をたたかれ、顔をグーで殴られた」。弱い者への暴力は、誰かが本気で止めないと、どんどん激しくなります

 一昨年11月の学校アンケートには、思い切って「お父さんにぼう力を受けています」と回答しましたね。叫びは確かに届きました。一時は児相に保護され、これで助かる、とほっとしたのではないですか

 でも、そうはなりませんでした。怖いからと市教委の人が、お父さんに回答のコピーを渡してしまったのです。火に油を注ぐようなものです。1月24日、風呂場で冷水を浴びせられた10歳のあなた。どれほど悲しかっただろうかと想像します

 大人に裏切られ同じような目に遭った子は、これまでにも大勢います。心愛さん、あなたが許せないのはきっと、お父さんだけではないのでしょう。

▼一読して、気づいた人はいるだろうか。このコラムには、「虐待」という言葉が使われていない。

▼以前、児童虐待がなくならない「構造」についてメモしたが、

基本的には、この構造が、とてもわかりやすいかたちで露わになってしまったのではないかと感じる。事件の報道で気になったことについて、稿を改める。

(2019年2月4日)

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