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終戦記念日の新聞を読む2019番外編 朝日新聞「天声人語」~青空高士

▼2019年8月18日に、

終戦記念日のコラムを読む2019(1)高知新聞「小社会」~特攻した子の親

と題して高知新聞のコラムを紹介した。

▼このコラムは、青空高士(あおぞらたかし)というペンネームでマンガを描いていた山崎祐則氏が、鹿児島から出撃し、アメリカの軍艦に〈特攻し、海に散った〉話だった。

▼8月19日付の朝日新聞「天声人語」で、この「青空高士」の話が載っていたので、うれしく思った。

妹さんにも取材し、「とにかく人を楽しませ、笑わせるのが大好きでした」という山崎氏の人柄を紹介している。高知新聞の取材がきっかけになて、2018年に「青空高士」のマンガが出版されたことも、この朝日のコラムで知った。

▼県紙で取り上げた反響と、全国紙で取り上げた反響とは、比べものにならないだろう。その意味で、いいコラムだった。

▼一点だけ、残念に思った箇所がある。末尾に、

〈幻の漫画家、青空高士は19歳で旅立った〉

とある。この、〈旅立った〉に違和感を覚えた。

高知新聞「小社会」では、上に引用したように、

〈特攻し、海に散った〉

と書いてある。

「旅立った」と「散った」。

前の文章を読んでいるのだから、特攻で死んだことは読者にわかっている。しかし、「旅立った」は、特攻による戦死を、美化してはいないにせよ、美しい表現にしていないか。

「散った」に感じる、無念を感じない。

▼「散った」は、死んだことを意味する。「散った」も、美しい花の散り際、を連想させるが、とにかく死んだことを意味する。

「旅立った」は、学校を卒業することも意味するし、天寿を全うしたことも意味するし、いろいろな含意がある。

筆者は、19歳の特攻による死について、朝日新聞の「旅立った」よりも、高知新聞の「散った」のほうが、いい表現だと感じた。

(2019年8月29日)

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