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内閣参事官が「首相官邸」と「企業」を同一視している件

▼前号の続きだが、安倍晋三総理大臣率いる首相官邸が「言いっ放し」で開き直り、自民党から何の抑制もない、という事態が続いている。その一つ。

▼前号では、2019年6月24日付の毎日新聞1面トップ(大場弘行記者)を紹介した。首相の面談記録が作られていないのは、明らかにルール違反だ、と、ルールを作った本人が証言した、という記事だった。

その関連記事が、同日付の3面トップにあった。見出しは

首相面談記録未作成/指針軽視 責任避け/官邸「企業も残していない」/省庁 情報公開警戒

同じ記事の、デジタル版の見出しは、

首相面談記録/内閣参事官「そこまではやってられません」/各省庁も官邸恐れ未作成

となっており、デジタル版のほうが目立つ見出しだ。〈各省庁も官邸怖れ未作成〉という見出しがよい。

▼気になるのは、紙面のほうの〈官邸「企業も残していない」〉という見出しだ。

〈官邸は、安倍晋三首相と官庁幹部の面談記録を一切残していないと明言している。「必要があれば官庁側の責任で作るべきもの」というのが官邸のスタンスだが、官庁側も十分に作成せず、双方が公文書を軽視している実態が浮かびつつある。首相面談のブラックボックス化は深刻だ。【大場弘行、松本惇】〉

▼この記事のポイントはここから。〈官邸の文書管理を担当する内閣総務官室の中井亨・内閣参事官が取材に応じた。〉

以下、中井氏のおもなコメント。

「面談の記録は政策を担当する官庁の責任で保存、作成すべきものだ」

「首相が受け取る説明資料はコピーに過ぎない。企業でも、各部署が社長への説明で使った資料を社長室に全部残すことはないでしょう。資料は各部が残す。基本的にそれと同じことだ」

「企業も社長説明の議事メモを作って全部残すことはないはず。なんで役所だけ、それを官邸で残さなきゃいけないのか」

「首相は人と会うのが仕事。その記録を全部残すとなると、そのためだけにエネルギーを使わざるを得なくなる。官邸スタッフはそれほど多くない。『そこまではやってられません』というのが正直なところだ」

▼要約すると、「企業も記録を残していないんだから、首相官邸も残さないんだよ。で、なにか?」ということだ。

まず気になるのは、首相官邸すなわち「国家の中枢」と、「企業」とを同一視して、それをもって面談記録を作らない理由づけにしている点だが、そのくせ、「社長室に全部残すことはないでしょう」「全部残すことはないはず」と、憶測でものを言っている。

このコメントを読んで筆者は呆(あき)れた。近代以降の社会は、文書に権威がある時代だ。役人は何でもって国民に御奉公するかといえば、「文書を残す」という仕事で御奉公するのである。

中井氏のコメントには、中井氏が質問者を通して国民をバカにしている様子がモロ出しになっている。そして、内閣総務官室という部署の仕事が「ええ、私たちの仕事は杜撰(ずさん)の極みですよ。それがなにか?」という意味の回答を明言して恥じないところに、今の首相官邸の傲慢(ごうまん)さがにじんでいる。

▼この中井氏の仰天発言について、小谷允志(まさし)記録管理学会元会長いわく、

「今の企業では、社長への説明はパソコン画面などに表示して行われ、説明資料のデータは社長側にも保管される。

重要な打ち合わせは、秘書室などがいつ、誰とどんなやり取りをしたかが分かる記録を残す。それがなければ、その後のフォローや適切な指導ができず、社長の任務が果たせないからだ」

「そもそも企業と国を同一に論じるのは論理のすり替えだ」

「国は国民から税を取り、憲法や法律で国民の生活と安全を守る義務と責任を負い、説明責任もある。株主に対してのみ一定の責任を負う企業とは全く異なる」

▼まったくその通りなのだが、官邸にとっては、どうも「蛙(かえる)の面(つら)に小便」のようである。

▼「国家の中枢」と「企業」とを同一視する、ということは、両者の共通点を「法人」に見ている、ということだ。

国家は、国家間では、法人格をもって国連や国際会議などで交渉する。しかし、国家を動かす原理は企業を動かす原理とは、文字通り「原理的」に異なる。

中井氏は、国家も企業も同じ「法人」だという認識に立って発言し、平然としている。これは、中井氏が首相官邸スタッフとして、企業が動く原理である「資本主義」や現今の「新自由主義」の思想を素直に受け入れていることをうかがわせる。

もしそうだとすれば、今の首相官邸は、「資本主義」や「新自由主義」思想の暴走に対する耐性が極めて弱いことを意味する。

中井氏の思想は、当然のことながら、世論調査という「人気市場」の動向を機敏にとらえて、短期的、中期的な対応をこなし、なんとか政権を維持してきた安倍氏の行動パターンと親和性が高い。

そして、そうした首相官邸の対応を、歴史の教訓として後の国民に残すべきだ、残さねばならない、という意識を、欠片(かけら)も持っていないはずだ。中井氏は第一に、国民に対して礼を失しており、第二に、屁理屈(へりくつ)の引き合いに出した「企業」にも礼を失している。

▼かつて大日本帝国では、「天皇陛下の官僚」が「臣民」を軽んじて公文書を大量に焼き捨てたが、今は「安倍総理の官僚」が「国民」を軽んじて面談記録を一言も残さない。

だから、政治的な権威が「天皇」から「安倍総理」に移っただけのように見える。

彼らはおそらく誇りをもって仕事をしているだろうが、その誇りは、拠って立つべき「歴史観」を欠いた、とても浅薄な代物にすぎないでしょう

聞く耳を持たなくなっている首相官邸の人々に対して、自民党の心ある国会議員がぜひとも対話してほしいものである。

(2019年6月28日)

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