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「ネット右翼」は他人事ではない件(1)ネトウヨは民主主義の一形態

▼「ネトウヨ」はどこにいるのか。誰が「ネトウヨ」なのか。考えさせる記事を幾つか読んだ。

▼ひとつめ。2019年6月8日付の東京新聞に、「ネット右翼 見えてきた実像」という特集があり、移民研究の専門家である樋口直人氏のコメントが載っていた。

▼樋口氏によると、「ネット右翼」の傾向は、「高学歴」「30代から50代」「自営業者や経営者」である。

「自営・経営者は地元の顔役的存在で、地域活動に関わることが多い。日本社会には戦前の全体主義が底流に残っており、地域活動をする人は保守的なものと親和性が高い傾向がある。そういう人のうち、ネットで主張するのが好きな人が『ネット右翼』と言える」

「武器や自衛隊などが好きなミリタリーオタク、武道関係者、宗教的活動に関わっているなどの背景のある人が多い」

▼以下の樋口氏の指摘が重要だ。

〈樋口氏は、ネット右翼は民主主義の一形態だと見る。「彼らは現実社会と遊離した存在ではない。むしろ、日々の地域活動や仕事を素地に、社会と密接につながっている。彼らはネットという手段を得て表に出るようになった、一つの極端な政治的立場だ」〉

▼民主主義の一形態だと弁(わきま)えて考えるのと、そうでないのとでは、理路(りろ)がまるで変わってくる。

ただし、「極右政党」は、自民党がネット右翼を取り込んでいるので、日本では生まれにくいという。

この樋口氏の指摘を受けて、デスクメモには〈その発信者は、あなたの隣にいるかもしれない〉と書いた。

▼次の記事は、「ニューズウィーク」日本版2019年6月4日号に載っていた、石戸諭氏の「百田尚樹」論である。以下のデータ紹介は、少し長いが、とても考えさせられた。適宜改行。

〈ここに、現代日本における「ごく普通の人」を指し示すデータがある。インターネット世論を研究する立教大学の木村忠正教授(ネットワーク社会論)が16年7月と8月に16~70歳の男女1100人を対象に行ったウェブアンケート調査で、第二次大戦についての歴史認識を尋ねた。ここで思い掛けない傾向が浮かび上がった。

 質問は、

1)「第二次大戦における日本の行為は常に反省する必要がある」

2)「孫の世代、ひ孫の世代が、謝罪を続ける必要はない」

3)「いつまでも謝罪を求める国は行き過ぎだ」ーー(詳細は木村『ハイブリッド・エスノグラフィー』新曜社、18年)

 木村は回答者を保守的志向層に分類し、比較した。

1)は想定どおり、保守とリベラルで明確に差が出た。保守は58.7%が反省の必要があると答えたのに対し、リベラルは70.2%に達した。

ところが、である。

2)は保守層76.2%に対し、リベラル層は78.3%が謝罪を続ける必要がない、と答えている。

3)では保守層の78.9%に対し、リベラル層は81.4%が行き過ぎと答えた。

この事実は極めて重要だ。データからは政治的スタンスに関係なく、中韓から求められる謝罪に「ごく普通の人=8割」が反発する図式が浮かび上がる。ここに百田現象を解き明かす最後の鍵がある。〉

▼これだけでも驚きだったが、木村忠正氏の分析の紹介が、もう少し続く。(つづく)

(2019年6月19日)

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