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薬物依存は「病気」である件 清原和博氏の逮捕から3年

▼2019年3月6日、清原和博氏が厚生労働省主催の依存症に関するイベントに登場したのだが、3月12日にピエール瀧氏がコカイン使用のかどで逮捕された報道で、すっかりかすんでしまったのが残念だ。

東映がピエール瀧氏出演の映画を公開するという、当たり前(と筆者は思うのだが)の決定が大ニュースになっている。

▼清原氏についてはNHKがいい報道をしていた。

〈清原和博さん 啓発イベントで薬物依存の経験を語る〉2019年3月6日 19時37分

〈覚醒剤を使った罪などで有罪判決を受けた元プロ野球選手の清原和博さんが、依存症の治療を受けている当事者として厚生労働省のイベントに参加し、「薬物を使っている時は、使うためのうそをつき苦しい日々でした。近くにいる人につらいと言える環境が大事だと思います」などと語りました。

元プロ野球選手の清原和博さんは、3年前、覚醒剤を使った罪などで執行猶予の付いた有罪判決を受け、現在、依存症の治療を受けています。〉

▼この冒頭の清原氏の言葉が、この記事のメッセージを要約している。薬物依存は「病気」なのだから、「近くにいる人につらいと言える環境」をつくることが何よりも大事だ。そのことを清原氏が語る社会的意味は大きい。厚労省はいい仕事をしたと思う。

▼清原ファンとしては、いつか社会復帰してほしいと願っている。

2016年8月10日に発売された文藝春秋の雑誌「Number」、「甲子園最強打者伝説」号を本屋で見かけた時、そのままジャケ買いした。この「甲子園最強打者」とは「清原和博」のことである。

近年、こんな特集を組まれるような、強烈な記憶を残した野球選手は他に見当たらない。筆者は、松井一晃編集長の「拝啓 清原和博さま」から始まる「編集後記」を読んで、

〈今回、PL時代にあなたが甲子園で打った13本のホームラン、その対戦相手すべてに話を聞きました。みな、あなたと真剣勝負をした記憶と、あなたと同時代に生きたことを誇りにしておられました。あなたが野球に帰ってくるためにできることはないか考えておられました。

 この特集記事は、あなたに励まされつづけた私たちからのプレゼントです。

 あなたが、再び小誌の誌面に登場する日が来ることを私は信じています〉

というくだりで、胸を熱くして泣いた一人である。

あの特集号には、テレビの司会者やコメンテーターたちが、したり顔や困り顔、怒り顔で垂れ流す、根拠のない無責任な言動や、「犯罪者」を見下したり、断罪したがる心の卑しさが、芥子粒(けしつぶ)ほどもなかった。

日本のスポーツ史に残るべき偉大な選手に対する愛と、敬意と、それゆえのかなしさが詰まった特集だった。

▼「清原逮捕」から3年。NHKは厚労省のイベントの様子を詳細に報道してくれた。

〈清原さんは、6日夜、東京・銀座で厚生労働省が開いた薬物などの依存症についての正しい知識や理解を呼びかける啓発イベントに当事者として参加し、医師と対話する形式でおよそ10分間にわたってみずからの経験を語りました。

まず、イベントへの出席を決めたことについて、「逮捕されて3年になるが、こつこつ治療をしてきたことが認めてもらえたんだと厚生労働省からの依頼をうれしく思いました。自分のように苦しんでいる人のためになればと思い、すぐに決めました」と話しました。

そのうえで、現在の治療についても語り、「僕が治療を受けるきっかけとなったのは逮捕されたことでした。今は2週間に一度病院に通って薬物について勉強をしていて、そうすることで自分の状況を理解できたのはよかったと思っています」と話しました。

そして、同じ悩みを持つ人に対しては、「薬物は一時的にはやめられてもやめ続けるのは難しいです。勇気を出して専門の病院に行ってほしいです」と呼びかけました。

清原さんは言葉を選びながらひと言ひと言ゆっくりと話を進め、最後に「薬物を使っている時は、使うためのうそをつき自分を追い詰める苦しい日々でした。今はいろいろな人に支援され支えられていて、身近な人に正直に言えるようになりました。近くにいる人の理解があってつらいと言える環境が大事だと思います」と語りました。

依存症は意思が弱い人がなると誤解されがちですが、適切な治療や支援によって回復が可能な病気で、厚生労働省によりますと、外来で治療を受けている薬物依存症の患者は全国で年間およそ6500人となっています。

厚生労働省は「依存症の人を社会の中で孤立させず、治療や支援に結びつけていくことが大切だということを清原さんの言葉を通じて多くの人に知ってもらいたい」としています。〉

▼「依存症は意思が弱い人がなると誤解されがちですが、適切な治療や支援によって回復が可能な病気」だというNHKの記事が、とても大切だ。しかし、この認識は社会的にほとんど共有されていないし、なかなか広がらない。むしろ「誤解」を広める報道のほうが圧倒的に多い。

依存症は「否認」の病であり、「孤立」の病でもある。その「否認」による顛末(てんまつ)や、「孤立」の周辺を面白おかしく取り上げ、「転落」や「堕落」を糾弾し、騒ぎ立て、自らの商売に使うのは「自由」だ。

筆者はそういう「自由」に溺れている輩(やから)の側には立ちたくないと思う。

▼清原氏については、病気を治して再び野球の仕事に携わってほしいし、ピエール瀧氏については、病気を治して再び名演技を見せてほしい。

▼清原氏と、清原氏をめぐるメディアの狂騒と使い捨てもまた、「平成」を象徴する出来事だった。「ああした下衆(げす)なひどい報道は、古い時代の狂騒曲だったね」と回顧される時代に、次の元号の世はなってほしいものだ。

(2019年3月28日)

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