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「平成31年」雑感03 オウム一斉処刑で日本が失ったもの

▼昨日のメモでは、日本には「元号」という自他ともに認める極めて特殊な制度があり、この改元に左右された処刑であったことを確かめた。

オウム真理教の死刑囚一斉処刑は、法的な手続きというよりも、「改元」論の範疇で処理された案件だったともいえる。

▼筆者が2018年7月7日付の各紙報道のなかで大事だと思ったのは、オウム真理教に夫を殺された高橋シズヱ氏のコメントである。毎日新聞記事から。

〈地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさん(71)は午前、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した。「突然だったので、びっくりしました」。冒頭、率直に驚きを口にすると、執行について法務省から報道発表前に電話があったと明かし、電話口で揺れた胸中を語った。

 電話では、執行された死刑囚の名前が告げられた。「(最初に)麻原の執行を聞いた時は、会見しないといけないなあ、と」。だがその後、「井上、新実、土谷、中川、遠藤、早川と名前が続き、動悸(どうき)がした」と吐露(とろ)した。

この6人には「今後のテロ防止ということで、もっと話してほしかった。それができなくなってしまった」と複雑な思いを口にした。〉

▼結局、テロの原因がわからないのだ。テロの防ぎ方も学べなかったし、共有できなかった。日本は国家として、オウム真理教が前代未聞の犯罪を犯した理由と対策を究明できなかった。

日経には〈AP通信は「サリン攻撃の理由は謎のままだ」と指摘した。〉という一文があった。

読売の見出しには〈沈黙に逃げた首謀者〉とあったが、同じ事実を、異なる言葉でいえば、たとえば〈首謀者を沈黙に逃(のが)した国家〉と表現できる。

この一斉処刑によって、オウム真理教事件の、国による総括は、失敗に終わったといえるだろう。

しかし、国家の失敗は、社会の側が何も考えなくていい理由にはならない。国家が失敗して困るのは、国家ではなく、社会であり、個人である。

▼国内主要紙の論説のなかで、筆者にとって最も読み応えがあったのは日経の坂口祐一編集委員の記事だった。見出しは〈「オウム」生んだ日本の責務〉。「世界の中の日本」の責任を論じるのがよかった。適宜改行。

〈95年の地下鉄サリン事件は、化学兵器で一般市民を無差別に狙うという世界で初めてのテロ攻撃だった。(中略)

 オウム真理教事件は終わっていない。それは世界の情勢を見回せばすぐ分かる。

宗教」の名の下に繰り返されるテロ。若者たちが短い期間でテロリストへと変容していく「過激化」。不特定多数の人たちが集まる「ソフトターゲット」で繰り返される凶行ーー。

 英・ロンドンやスペイン・マドリードで起きた駅や列車を狙った同時多発テロに、地下鉄サリン事件との関連を指摘する研究者もいる。そして治安関係者が危惧し、最大の課題の一つと考えているのが核・生物・化学(NBC)テロの抑止である。

 「オウム」は過去の事件ではなく、まさに現代の課題そのものなのだ。

では、そのテロ集団を生み、事件を許してしまった日本は、その今日的、国際的責任を果たしてきたと言えるだろうか。

 たとえば米国は、2001年の同時テロを受け、第三者機関が事件に至る経緯を調査し、570ページに及ぶ勧告を出した。オウム事件についても、事件後、ただちに日本に調査団を送り込んでいる。(中略)

 小さなヨガサークルがなぜテロ集団と化したのか。

若者たちがどうしてあの教団に吸い寄せられたのか。

地下鉄サリン事件の前に起きた松本サリン事件や坂本弁護士一家殺害事件を、警察はどうとらえ、どこまで情勢を分析し、情報を共有していたのか。(後略)〉

▼読み応えはあるのだが、疑問形ばかりなのがものたりない。なにしろ国による総括もなく、何もわからないままなのだから仕方がない、ということか。疑問への自分なりの答えがない。ここにこの記事の限界がある。

とはいえ、こうした疑問を列挙することによって、結果的に、「改元」に左右された法執行を鋭く相対化する論説になっていた。(つづく)

(2019年4月14日)

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