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ネット内では、人はどこまでも無責任になれる件

▼スマホは、人をどこまでも無責任にする。盛り上がると、とくに無責任になり、バカになり、恥知らずになる。以下の話も、スマホがない時代には起こらなかっただろう事例だ。

フリーランスライターの畠山理仁氏が、2018年7月11日付の東京新聞夕刊に書いた体験談が興味深い。

〈ネット上に蔓延する「無責任」/現場軽視と他者攻撃/新潟県知事選取材ツイッターで炎上〉

〈(2017年の)6月10日に投開票が行われた新潟県知事選挙。(中略)火種となったのは筆者の5月31日付発信。魚沼市の取材現場で見た事実を写真付きで報じた次の投稿だ。

 「新潟県知事選。魚沼市での花角(はなずみ)英世候補(注・現知事)の街頭演説。(中略)応援演説に立った商工会長が『新潟県に女性の知事はいらないんです!』と言うと聴衆からは苦笑が。」〉

▼ちなみに、選挙の対立候補は女性。一読、「この発言は女性差別だな」とわかる単純な投稿である。しかし、これが炎上に至る。発言の主はおわびしたにもかかわらず。

〈花角候補の支援者たちは筆者に対し、「本当に現場にいたのか」「応援者の発言を報じる意味はあるのか」との批判まで投げつけた。

 いやいや、ちょっと待ってほしい。どんな人が応援しているかも重要な情報だ。だからこそ花角陣営は商工会長に応援演説させたのだろう。

 この炎上事案が筆者にとって不幸だったのは、商工会長の発言を現場から報じたのが筆者一人だったことだ。

 理由は簡単。他の記者は現場にいなかった。論戦に参加した人たちの多くも現場にはいなかった。それなのに現場にいた筆者に対し「嘘つき」と威勢よく攻撃した。
 攻撃は手軽な娯楽なのかもしれない。しかし、現場軽視の風潮には呆(あき)れるしかない。

いったい、その人たちは何を「事実」と呼ぶのだろうか。

▼「本当に現場にいたのか」とか、「応援者の発言を報じる意味はあるのか」とか、ヤクザの因縁よりも幼稚だが、その人たちは、その人たちが脳内で「そうであってほしいもの」を「事実」と呼ぶのだ。

そうして「感情ポルノ」を散々楽しんだ後、くだらない実生活を生きていく。

しかし、記者はそうはいかないわけだ。〈記者は信用商売〉で、〈現場から報じた事実を根拠もなく「嘘だ」と言われてはたまらない〉から、畠山氏は取材現場の動画を公開した。すると、

〈それまで「嘘つくな」と筆者を罵(ののし)ってきた人たちの中で、自らの非を認めて謝罪の意を表したのはわずか二人。それ以外の人たちは謝罪もせず、「だったら最初から動画を公開しろよ!」と捨てぜりふを吐いて消えていった。

 筆者の名誉はどうなるの?

 ネット上に蔓延する「現場軽視」と「他者攻撃」。今回の炎上騒ぎに巻き込まれてわかったその実態は、「無責任」の一言に尽きる。〉

▼「だったら最初から動画を公開しろよ!」とか、もはや「ネットあるある」ともいえる、どこかで見たことのある浅ましくて恥ずかしい言葉だ。

スマホは恥知らずを量産している。

▼報道の現場で働く人が、どうすればこんな愚かな人たちからのいちゃもんに巻き込まれないですむか、事故を防ぐ万全の策はない。

▼最近、女性議員や女性候補がひどい暴力や嫌がらせを受ける「票ハラ」が社会問題になっているが、いっぽうで「サイバー攻撃産業」が国内外で蔓延(はびこ)り始めている。

日本社会にとって「選挙多難」な時代になっている。

これから行われる国政選挙でも、畠山氏が被(こうむ)ったようなバカバカしい「炎上」が起きる可能性がある。それが、バカバカしいでは済まされない、実害に結びつく場合がある。

スマホのアプリは無数にあるが、「事実を報じる人を大切にする文化」を守るためのアプリはない。

(2019年6月22日)

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