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「感情論」は「論理」ではない件(2)脅迫や暴力を正当化する社会

▼「あいちトリエンナーレ」に脅迫=暴力が殺到した事件について、2019年8月15日付の毎日新聞から。

〈脅迫770通 県が被害届〉

〈国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が抗議の電話やメールなどが相次ぎ中止となった問題で、愛知県は14日、芸術祭実行委員会などに届いた「県庁等にサリンとガソリンをまき散らす」などと書かれた脅迫メール770通について、県警東署に被害届を提出し、受理された。〉

▼以下はNHKの報道から。

〈愛知県によりますと、今月1日の「あいちトリエンナーレ」の開幕後、5日から9日にかけて、県の担当部署や秘書課などに770通の脅迫メールが送られてきたということです。

メールの半数は、芸術祭の担当部署宛てで、「県の施設や学校にガソリンを散布して着火する」とか、「県庁などにサリンとガソリンをまき散らす」、それに「職員らを射殺する」といった内容で、一部は、同じ文面のものがあったということです。愛知県は芸術祭の運営などに支障をきたしたとして、威力業務妨害の疑いで14日、警察に被害届を提出し受理されました。

「あいちトリエンナーレ」をめぐっては、展示された慰安婦問題を象徴する少女像を撤去するよう脅迫するファックスを送り、展示の一部を中止に追い込んだとして今月7日に男が逮捕されています。〉

▼〈一部は、同じ文面のものがあった〉という指摘が大事だ。個人の犯罪ではない。集団で脅迫罪に加担した可能性が高い。

▼この事件の時系列を整理すると、8月1日に芸術祭が始まり、8月3日に展示中止が発表された。ポイントは、今回、被害届が受理された案件は、8月5日以降に届いた770通ものメールである。(展示の実行委や愛知県庁には、8月1日の開幕から8月13日までに、5500件もの抗議の電話やファクス、メールが届いているそうだ)

つまり、展示が中止になってからも、「火をつける」とか、「サリンをまく」とか、「射殺する」とかいった脅迫がやまない、ということだ。

正気の沙汰(さた)ではない、ということがわかる。

▼この事件については、「表現の自由」をめぐる議論がうるさいが、簡単な話だ。

要するに、「サリンとガソリンをまいて火をつける」とか、「射殺する」とか、明らかに脅迫罪を犯した大量の人々がほとんど批判されず、「殺す」と脅迫された側(愛知県、美術展の主催者)が、社会的に袋叩きに遭っている。

「法治国家」の原則に照らせば、明らかに脅迫したほうが悪いのだが、今の日本社会は、そうなっていない、ということだ。

筆者は脅迫されている側を守る立場に立つ。

▼いまの日本社会には、「不快感」「好みではない」という「個人の感情」を理由に、脅迫を正当化する人々が増えている。「論外」の世界というか、狂った世界を生きている人が増えつつある兆(きざ)しだ。

それは上記のように、いくつかの報道を整理しただけで簡単にわかる話だ。

モンスターペアレンツというネーミングにならうと、「モンスター社会」とか、「クレーム社会の成れの果て」と言ってもいいかもしれない。

▼また、「暴力を振るわれるのは、暴力を振るわれるようなことをするからだ。暴力を振るわれたほうが悪い」という論を振りかざす人がいる。

自己正当化の詭弁(きべん)にすぎない。それは、「いじめは、いじめられたほうが悪い」という「犯罪肯定の論理」と構造的に同じだ。かりに、脅された側に、「殺すぞ」と脅される理由があったとしよう。だからといって、なぜ「殺すぞ」と脅してもいい、ということになるのか?

「殺すぞ」と脅したほうを「よくやった」をほめたたえるのは、人間の世界ではない。

それは、「人の皮をかぶった獣(けもの)」の世界だ。獣の世界よりも、数百倍、性質(たち)が悪い。

▼「感情論」という名の、ただの「感情」を噴き上がらせると、社会はどう変わっていくのか。今回の事件は、その好例だ。

脅す人たちの心は、「気持ちいい」「さびしい」「不安」「気持ちいい」の繰り返しだ。「感情の奴隷」「感情の虜(とりこ)」になった精神状態を、別の言葉でいうと、「地獄」が適切かもしれない。

(2019年8月16日)

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