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「ネット右翼」は他人事ではない件(3)その発信者は自分かも?

▼前号では、「ネット右翼」は「ふつうの人」であり、中韓については「炎上」を下支えしているのは「ふつうの人」である可能性について触れた。「ニューズウィーク」日本版2019年6月4日号に載っていた、石戸諭氏の論考の続き。適宜改行。

〈百田の言葉、特にツイッターの言動はこれまでなら「言論人」として終わりと見なされるものだった。だが彼はいまだに多くの読者を獲得し、言動で心をつかんでいる。それはなぜか。現段階までの研究を踏まえると、こんな仮説が浮かび上がる。

 中韓に「怒り」を爆発させ、朝日新聞という大マスコミを批判する言葉は、非マイノリティポリティクスと相性が良い。マジョリティーである「ごく普通の人」は多かれ少なかれ、中韓への違和感や疑義を持って、生活している。百田の言葉は「ごく普通の人の感覚」の延長線上にあるのではないか、と。〉

▼そうすると、先に紹介した東京新聞のネット右翼特集のデスクメモは、詰めが甘いのかもしれない。そこには、こう書かれていた。

〈その発信者は、あなたの隣にいるかもしれない〉

そうではなく、

〈その発信者は、あなたかもしれない〉

とするべきだったのではないか。

▼自分が思うとおりの情報しか受け付けない、受け入れられない生き方の人を「反知性主義」の持ち主と呼ぶが、ゴリゴリの反知性主義者ではなく(そんな人はほとんどいない)、今の日本社会には、うすーい反知性主義が蔓延(まんえん)しているのかもしれない。

▼ろくにものを読まず、自分勝手に決めつけて、「北斗の拳」よろしく指先ひとつで「ダウン」させたと思いこんだり、「斬った」つもりになったりする感情の、なんと無駄で、はかないことだろう。

しかし、木村忠正氏の分析について考えると、これまでの「ごく普通」に受け入れられてきた社会論をアップデートする必要がある。

そのためのヒントの一つになるかもしれないのが、先に紹介した樋口直人氏の「共生」論である。

ここで次号に(つづく)のだが、次号はタイトルを変える。

(2019年6月19日)

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