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栗原心愛さんの死(10) 暴力の被害者を襲う壮絶な「解離性障害」

▼今号は、「栗原心愛さんの死」シリーズの前号に紹介した「学習性無力感」の話とリンクする。

▼全国規模のニュースでも、全国紙よりもブロック紙、県紙のほうが鋭い視点、指摘で問題に迫る記事が載っている場合がある。

2019年2月18日付の中国新聞。「こちら編集局です あなたの声から」という企画があり、その一つを紹介したい。見出しは、

虐待とDV、密接に関係 「私も子どもの盾になれなかった」

〈女性から届いたLINE。DV被害の渦中で子どもを守れなかった―。かつての自分が心愛さんの母親と重なる〉(久保友美恵記者)

〈「私も子どもの盾になれなかった」。千葉県野田市の栗原心愛(みあ)さん(10)が死亡し、傷害容疑で両親が逮捕された事件を受け、広島県内の40代女性が無料通信アプリLINE(ライン)で思いを寄せた。

かつて夫から家庭内暴力(DV)を受けていた。わが子に向かう矛先を振り払えなかった、その訳を知ってほしいと訴える。DV被害の渦中で、人はどんな精神状態に陥るのか。「そこを直視しないと、事件は繰り返されてしまう」

▼ⅮⅤ被害者の精神状態に特化した記事は、ありそうで少なかった。

今回の事件報道によると、栗原心愛さんの母(32歳)は「自分は(夫の)支配下にあった」と供述しているのだが、この40代女性いわく「お母さんも、支援を必要とする人だったんだろう」。

▼この女性が、この事件を知って、どういうふうに感じたのか。テレビのニュースを見ていて、胸が苦しくなったそうだ。

コメンテーターが、母親ばかりを一方的に非難していたからだ。/連れて行けない理由が、女性には分かる気がした。かつての自分もそうだった。病院に行けば夫の暴力がばれる。その怒りによって暴力はさらに激しくなる。「夫の意に反することは、何より危険なことなんです」〉

▼この被害者の気持ちに対して、テレビに出ているコメンテーターたちはどうコメントするだろう。とても興味深い。

▼夫が暴力を振るい続けた15年間。40代女性が感じた、夫と妻と子どもの三人の関係が、とても生々しく描写される。暴力の嵐のなかで、女性は「ある傾向」に気づく。

〈夫が幼い長男を殴るとき、自分が助けに入ると暴力はエスカレートする。逆に一緒になって怒ると、夫は一転して長男に優しくなるのだ。わが子への暴力を少しでも和らげたくて、女性は長男を怒るようになった。〉

このくだりを読んでいるだけで、なんともいえない気分になる。

ⅮⅤの加害者は、暴力によって家族をコントロールする。そして、以下の描写が、この記事のクライマックスである。

〈次第に女性は体に異変を感じるようになった。夫がワインの瓶をテーブルにたたき付け、鋭く割れた先で長男を殴ろうとした瞬間。「自分がその場にいる実感が消え、遠くの出来事をカメラ越しに眺めている感覚に陥った。体も動かなかった」

【自分がその場にいる実感が消え、遠くの出来事をカメラ越しに眺めている感覚に陥った。体も動かなかった】という壮絶な体験を、筆者はしたことがないから、よくわからない。彼女は心療内科で「解離性障害」と診断される。彼女が感じた状態は、まさに「解離性障害」の典型的な症状である。

〈強いストレスやトラウマ(心的外傷)により、記憶や意識、行動のつながりが失われる精神障害だ。記憶がなくなる▽自分である感覚を失い、自分を外から眺めているように感じる▽体がかたまる―などの症状がある。

つらい体験を自分から切り離そうとする一種の防衛反応とみられる。〉

▼解離性障害は、つらい出来事からわが身を守るための反応なのだ。

少し前、児童虐待の研究者に聞いたことがあるが、暴力によって心に傷を負った人は、その傷を思い出すような物事を「回避」する。しかし、回避できない場合がある。その時、感情が「麻痺」する。

そして、感情の「麻痺」がさらにひどくなると、「解離」に至るという。「解離」は相当の崖っぷちまで追い詰められていることを示す。そんな状態の人に、まともな判断ができるとは思えない。追い込まれる前に、何かをする必要がある。

▼NPO法人全国女性シェルターネットの共同代表の北仲千里氏(広島大准教授)は「暴力支配下で子どもを守ることは至難の業で、『母親が子どもを守るのは当たり前』という母親神話は通用しない。どの機関も、母親をDV被害者として保護しなかったことが今回の大きな問題」と語る。

この中国新聞の記事は、心愛さんの母親の置かれた状況に迫る、とてもいい記事だ。

▼心愛さんの死について、以下のメモも考える参考になると思う。

(2019年3月4日)

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