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読み方で「万葉集」の価値が変わる件(その1)

▼2019年4月1日以降、新元号「令和」の出典となった『万葉集』が、ほんとうに「令和」のオリジナルなのか、それとも中国の古典がオリジナルなのか、という議論が起こった。

時系列でいえば中国のほうが先だが、万葉集由来を否定できるわけもない。そもそも、先にメモしたとおり、安倍総理の声明によると、「令和」という元号に出典の原義はほぼ残っていないのだから、この議論にはあまり意味がないようにも思う。

▼数十年に一度しか訪れない興味深いテーマだが、切り口によって面白くも、つまらなくもなる。どう考えると文化的に最も納得できるかを考えて、一冊の本を思い出した。

▼それは、教育文化史や宗教民族学の研究者である斎藤正二氏の、『斎藤正二著作選集』という分厚い本である。

▼斎藤氏は「サクラ博士」と呼ばれるほどサクラに造詣が深く、ずいぶん前にサクラについて調べたとき、この本の存在を知った。

まず、「令和」の出典である『万葉集』の時代背景から。適宜改行。

平安京の条坊その他すべてが唐の両京(長安および洛陽)の制度を模範にしていたればこそ、街路樹というデザイン構成も、違和感なく都市計画の設計に盛り込まれたのである。

平安京だけではない、平城京・藤原京がそうだった。平城京だけではなく、九州総管府の大宰府もそうだった。〉(『斎藤正二著作選集3 日本的自然観の研究Ⅲ 変化の過程』83頁、八坂書房)

▼原著の『日本的自然観の変化過程』は1989年に発刊された。「花」や「植物」を主人公にして、日本人の自然観の1000年単位の変化を俯瞰(ふかん)するという、壮大な志の本である。

▼今号では、「令和」の出典になった「梅花(うめのはな)の歌三十二首」の文化的背景に触れた箇所を引用しておく。

〈『万葉集』に詠じられた植物のうち、最も頻出度の高いものを挙げると、草本類ではハギの140首、木本類ではウメの118首がそれぞれ第1位にランクされる。

ウメがはじめて中国から輸入=渡来したときの、わが日本律令官僚知識人たちの驚きといったら、ひととおりではなかったろう。天平インテリ歌人たちは、実物のウメを初めて眼で見、嗅覚で快くおぼえ、さらにはウメの果肉の美味礼賛法や救荒用保存技術に関する手ほどきをまで受け、どこからどこまでも感嘆感服してしまうと同時に、中国インテリ官僚たちが頻(しき)りに口にするところのそれと同時に「風流(みやび)」という文化記号をも解読し得たのであった。

 天平2年(730)といえば、大宝律令制定30年目に当たり、平城京遷都満20年、『日本書紀』刊行10周年、聖武天皇即位7年、長屋王の変の翌年、といった、咲く花の匂う奈良時代の頂点(ピーク)に入ろうとする年代(クロニクル)である。

この年の正月13日、筑紫では大宰帥(だざいのそち)・大伴旅人(おおとものたびと)が文芸パーティーを主催し、そのさい列席した律令官僚文人たちのうたった「梅花歌三十二首」なる詞華集(アンソロジー)が『万葉集』に採録されている。

九州へんではウメの植樹が進行し、役所の庭園に咲いた梅花を装ってタケやヤナギの移植も完了していた。作品をみれば、梅花鑑賞法と、梅の園芸技術とが、同時に学習=再生産(あるいは再消費と言うべきか)されている事実を知らされる。すべて、中国文明の全面的享受であった。〉(83-84頁)

▼斎藤氏の研究を読むと、『万葉集』そのものが、巨大な中国文明の影響下で誕生したことがわかる。

あの読売新聞コラムによる、〈和語が背伸びをして文化の芽を出そうとしているとき、先輩の漢語が懐深く見守っているように思えなくもない。そこから2字を引き、新たな元号が「令和」に決まった。国書に由来する初めての元号といいながら、国際性も宿している〉という指摘の鋭さを、あらためて感じる。

▼また、安倍総理は、天皇から庶民まで、さまざまな階層の人々の歌が収録されている『万葉集』の、膨大な言葉の海の中から、貴族のパーティーのくだりを選び、「令和」を制定した、という事実もわかる。

▼そして、斎藤氏の論考を読み進めると、『万葉集』の価値は、こうした政治的な思惑や、「オリジナル論争」に拘泥(こうでい)していては、さっぱりわからないことがわかる。(つづく)

(2019年5月7日)

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