新聞の効用 計画していなかった出会い

▼引き続きポール・ロバーツ氏の『「衝動」に支配される世界』から。「同質なコミュニティは極端な方向へ進む」という小見出しで、民主主義の条件について論じられている。

 一方で、これまでに見てきたように、不快な出会いや予期しない考え方、苛立たしい人々は、まさに自分向けにカスタマイズされた生活からは取り除いてよいと感じられるものである。〉(168-169頁)

▼人との出会い以外でも、この「前もって選んだのではない内容やトピックを相手にすること」「非効率な出会い」がある。新聞だ。筆者にとっては、直近では2018年11月10日付毎日新聞夕刊の社会面を開いた時がそうだった。「アルビノ狩り」について、当事者が来日して被害を訴えた。

〈アフリカ/手足切断「アルビノ狩り」 都内で被害女性証言
毎日新聞2018年11月9日 18時43分(最終更新 11月10日 12時06分)
肌など白い「アルビニズム」の人 「幸運になれる」迷信被害/生まれつき肌や髪が白い「アルビニズム」(白皮症)の人が襲撃されて手足を切断されたり、殺害されたりする「アルビノ狩り」と呼ばれる事件がアフリカで相次いでいる。肉体の一部を手に入れると幸運になれるとの迷信があるためとされ、タンザニアの被害女性が9日、東京都内で開かれた催しで自身の体験を証言した。支援者は「世界規模の人権問題として考えるべきだ」と理解を求め、日本の当事者は「国内でも外見を理由とした就職差別などがある」と問題提起した。
 催しは「東京アルビニズム会議」(日本財団主催)。最初に、当事者でアルビニズムの歴史などを研究する矢吹康夫・立教大学助教が「今回はアフリカの問題がテーマだが、日本では就職する際に髪を黒くするよう求められるなど理不尽な差別がある」などと指摘。国連でアルビニズム問題に携わるイクポンウォサ・イロさんが、アフリカでアルビニズムの人が襲撃された事件は過去10年間で700件に上り、切断された手足が呪術目的で高額で取引されていると説明した。
 続いて、2008年に隣人の男らに襲われて両腕を奪われたマリアム・スタフォードさん(35)が自身の過酷な体験を証言。今はキリマンジャロ登山に挑戦するなど前向きに生きていると語った。他にも、アフリカ南東部のマラウイ、モザンビークの支援者らが自国の状況を報告。事件に遭っても「身内の恥」として家族が隠したり、捜査当局が積極的に犯人捜しをしなかったりする実情を明かした。【伊藤一郎】〉

▼筆者の場合は、小学校に通うようになる前から、近所に年上のアルビニズムの友だちが住んでいた。最初はビビったが、そのうち一緒に遊ぶようになった。彼には視覚障害があり、一緒に遊ぶ時にはなるべく日光に当たらないように工夫していたことを覚えている。この記事を読んで、アフリカでは信じがたい惨劇が続発していることを知った。そして彼のことを思い出した。

新聞の効用の一つは、こうした「前もって選んだのではない内容やトピックを相手にすること」にある。また、凄惨な「アルビノ狩り」については、少し検索すると次のような記事がすぐ見つかる。

〈モザンビークでまた「アルビノ狩り」 17歳少年、脳まで奪われる/2017年9月17日 9:51 発信地:マプト/モザンビーク [ アフリカ モザンビーク]
【9月17日 AFP】アフリカ南東部モザンビークで、先天性色素欠乏症(アルビノ)の17歳の少年が殺害され、脳などが奪われた状態で発見された。地元メディアが報じた。奪われた体の部位は、呪術に使われるとみられている。
 国営モザンビーク通信(AIM)によると、少年は13日に殺害され、遺体は西部テテ(Tete)州ベンガ(Benga)で見つかった。地元当局者の話では、「犯人らは被害者の腕や脚から抜き取った骨や、髪の毛を奪った上、頭を割って脳を取り出していた」という。
 同国では、アルビノの人々の体の部位を求めての「アルビノ狩り」が後を絶たない。アルビノの体の部位は富と幸運をもたらすと信じられており、お守りや呪術用の薬として用いられる。
 マラウイと国境を接するテテ州には、アルビノの臓器を売買する大規模な市場があるとみられている。4か月前にも、同州モアティゼ(Moatize)で両親がアルビノの子を売り渡そうとする事件が発生していた。
 国連(UN)のまとめでは、モザンビークでは2014年以降、アルビノに対する攻撃が100件以上発生している。犯人らはその足の指から排せつ物に至るまで、何もかもを奪っていくという。〉

▼インターネットは猛烈に便利であると、あらためて感じる。

▼たとえば、朝日新聞だけを読むのではなく、産経新聞だけを読むのではなく、時間に余裕のあるときは複数の新聞を読むこと。見知らぬ土地を旅した時にはその地の県紙、ブロック紙をキオスクやコンビニで買って読むこと。それは「前もって選んだのではない内容やトピックを相手にすること」だ。それは政治、経済、社会、文化風俗など、それぞれの範疇でどのように意見が異なるのかを知ることでもあり、同時に、それぞれの範疇を超えた出会いも生じる。

当たり前のことだが、新聞は、よくできたメディアだと思う。

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