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将棋のトッププロに見えている残酷な現実の件

▼最近、将棋ブームが続いているが、作家の大崎善生氏が、「藤井聡太七段の存在はどれほど大きなものなのか」を痛感させる記事を、2019年2月27日付日本経済新聞夕刊に書いていた。

▼具体的には、大崎氏が、渡辺明二冠と飲んだ時の話だ。

▼と、ここで「渡辺明」を知らない人のために、「棋士レーティング」を紹介しておこう。将棋の棋士のなかで、段位が何段なのか、順位戦でどのクラスに所属しているのか、どのタイトルを持っているのか、などの属性をすべてとっぱらって、「今」、誰が強いのか、実力がわかるランキングなのだが、インターネットでは今のところ2種類ある。

両方の、トップ10を並べてみよう。目安として、最大のタイトル(賞金額が多い)である竜王と名人、最も有名な羽生善治九段、そして渡辺二冠と藤井聡太七段を太字にしておく。まず一つめ。

1 渡辺明二冠 1930
2 広瀬章人竜王 1892
3 永瀬拓矢七段 1882
4 豊島将之二冠 1880
5 藤井聡太七段 1871
6 羽生善治九段 1865
7 千田翔太七段 1817
8 佐藤天彦名人 1803
9 菅井竜也七段 1803
10 木村一基九段 1792

▼いっぽう、こちらのレーティング。だいたい同じだが、少し違う。

1 渡辺明 二冠 1921 
2 永瀬拓矢 七段 1888 
3 藤井聡太 七段 1888 
4 広瀬章人 竜王 1883
5 豊島将之 二冠 1872
6 羽生善治 九段 1858
7 千田翔太 七段 1823
8 菅井竜也 七段 1796
9 佐藤天彦 名人 1796
10 佐々木大地 五段 1795

▼こうやって並べると、「今」は、名人や竜王よりも渡辺二冠のほうが強いことがわかる。また、藤井聡太七段がすでに羽生善治九段よりも上位であることもわかる。

この順位は日々、目まぐるしく変わっているのだが、とりあえず、渡辺二冠が現在トップレベルの棋士であることは、よくわかる。

その渡辺二冠との会話。適宜改行。

〈「最近は強い若手が大ぜい出てきて大変ですね」と私が言うと、真顔で「えっ、誰のことですか」。

私は次々と思いつくままに名前を挙げたのだが全然、納得してくれない。渡辺さんにとって強いというのは10代でタイトルを取るくらいの人を指すようだ。

今の棋士は自分も含めて、歴史的には羽生と藤井の間、という位置づけになるんじゃないですかね」とニヒルに笑うのである。

つまり、大山康晴、中原誠、谷川浩司、羽生善治、藤井聡太、という名棋士がいて、その間の棋士。しかし永世称号を持ち、25日に王将のタイトルを獲得して二冠となった渡辺明をして、そんな感じなんだなあと驚くとともに、藤井聡太という青年の器の大きさを今更ながら思い知る。〉

▼この記事を読んで、筆者も心底驚いた。「二冠」というのは、現在の将棋界には8つのタイトルがあり、そのうちの2つを持っている、ということだ。ほかにも永世竜王と永世棋王の称号をもっている。渡辺氏のタイトル獲得数は、歴代5位だ。

棋士人生のなかで、1つでもタイトルを取れる棋士は、ほとんどいない。つまり、渡辺氏は間違いなく歴史に残る棋士の一人なのだが、その渡辺氏が「我々は羽生と藤井の間、という位置づけになる」と言うのだ。

▼たしかに、一人の将棋ファンとしては、羽生氏と同じ時代を生き、藤井聡太氏の隆盛をこれから目撃しようとする、とても幸運な時代を生きている。

羽生氏がこれまで獲得したタイトル数は、竜王7回、名人9回、棋聖16回、王位18回、王座24回、棋王13回、王将12回である。同時に「七冠」を制覇するという、ほんとうに信じられない離れ業も成し遂げた。こんなに強い棋士は二度と出てこないと思われていた。

藤井聡太氏が現れるまでは。

▼しかし、繰り返すが、棋士はその道の「天才の中の天才」たちである。その彼らと、「羽生」「藤井」とを分けるものは何なのか。厳然と存在するらしい「紙一重」の力の差が、素人にはまったくわからないし、想像もつかない。しかし、たしかに冷酷な力の差があるから、勝てないわけだ。

渡辺氏は正直な人で、自分に見えているものを、素直に「見えている」と言っているだけなのだろう。素人には、彼に「何か」が見えていることはわかる。しかし、何が見えているのかはわからない。おそらく、見えている人も、見えていない人に説明するのはとても難しいものなのだろう。

ちなみに、渡辺氏は羽生善治氏とこれまで76回対局し、36勝40敗。ほぼ互角である。繰り返すが、この力量をもっている渡辺氏をして、自分は「羽生と藤井の間」に埋もれる、と言わしめるわけだ。

▼棋士たちは、天才の中の天才たちが集まった奨励会という地獄をくぐり抜けて、その後、生涯の多くをかけて将棋を指し続けることによって生計を立てる。信じがたいことだが、1日の対局で体重が2キロ落ちることもあるそうだ。

そんな長い時間を過ごすなかで、トッププロと言われる数少ない棋士たちには、どうしても敵わない相手との「差」や「大局観」の違いが「見えている」というのは、いったいどういう気持ちなのだろう。筆者には、とても残酷な何かが見えていると感じられる。

▼しかも、ここに人間より強いAI(人工知能)が入ってきた。局面はまったく変わった。

〈情報に振り回されることなく、スマートにそしていち早くコンピュータを導入した棋士が若手を中心に先頭を走ってきた感があるが、それも横並びになりつつある。全員に過不足なく平等にいきわたったとき、将棋はどのような進展を見せるのだろうか。平成後の最大の注目点なのではないかと私は思っている。〉

この大崎氏の指摘には同感だ。ここ10年で、どう変わるかはさっぱりわからないが、将棋界が激変することは間違いない。

しかし、一つだけわかっていることがある。それは、人間同士の対局の面白さを、AIが創造することはできない、ということだ。

お金のかからない、いい趣味を持ったものだと思う。

(2019年3月20日)


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