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終戦記念日の新聞を読む2019(9)~海の特攻、人間魚雷の謎

▼2019年8月15日付の日本経済新聞には、日本軍が考えた海の特攻兵器である「回天」、いわゆる「人間魚雷」の成り立ちについての記事が載っていた。山口県の、周南市職員の三崎英和氏が調べ続けている。

淡々とした記述だが、想像すれば、どれほどひどい話か、幾許(いくばく)かの理解を得られるだろう。

〈回天は1944年7月に試作機を完成、11月に初出撃した。開発を命じたのは軍務局第一課長の山本善雄大佐。名称は幕末期の幕府軍の軍艦「回天丸」から取った。

 訓練や搭乗員の選出などは当初、山口県の今の周南市・大津島の基地で行った。市内で生まれ育った私は関心を抱いた。〉

〈回天は既存の魚雷を改造した。長さ14.75メートル、直径1メートル、爆薬搭載量1.55トン。420基造られた。最大速度は30ノット(時速55.56キロ)、最高深度80メートル、最大速度での航続距離は23キロで航行時間は25分。

 母艦の潜水艦で敵艦の位置を測って出撃する。潜望鏡はあったが、停止、後退はできず、脱出用の設備もなかった。

▼歴史の結果を知っている人が現在の時点から見れば、大日本帝国の末路を象徴するかのような兵器だ。

〈太平洋上のウルシー環礁への初出撃では停泊中の給油艦を撃沈したが、その後は米軍の警戒が厳しくなった。事前の予測では命中率が75%だったが、米国側資料では撃沈・撃破(損傷)された艦は7隻であったことから命中率は15.6%だった。〉

▼これだけで胸がつぶれるが、この後も、読んでいて鬱々(うつうつ)となる記述が続く。

〈1メートル四方の閉鎖空間での「片道切符」の過酷な任務だ。訓練を受けたのは1375人、うち母艦の潜水艦で出撃した108人のうち戦死は80人、事故などによる殉職や自決を含めて106人が犠牲になった。

亡くなった人は17~27歳で平均年齢は20.9歳だった。

▼筆者は、こうした文章を読むといつも、自分には歴史に対する想像力が欠けていると強く感じる。

〈回天は「死を前提にした作戦は採用しない」との東郷平八郎元帥の遺訓を破る初めての特攻兵器とされる。山本大佐が開発を命じたとされるが軍務局の課長が、そんな重要な決定ができたのか。それが最大の謎である。〉

▼ほかにも謎が多い兵器だが、三崎氏は市を定年退職した後も、こつこつと調べ続けてきて、今年「回天記念館と人間魚雷『回天』」を出版したそうだ。

(2019年9月2日)

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