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日本は優生思想に寛容である件(2)感情ポルノにふける人たち

▼優生思想はさまざまな形で噴出する。日本では3年前に、神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が植松聖被告によって殺された。

最近では、「ひきこもりは殺してもいい」という意見が公然とSNSで書き込まれるようになった。

▼共同通信が配信した「扉を開けて ルポひきこもり」続編「波紋」(1)。筆者は琉球新報の2019年7月9日付で読んだ。

今から2カ月ほど前に起きた、2つの事件を扱っている。

▼時系列が逆になるが、まず、2019年6月、東京都練馬区で、元農林水産事務次官の男(76才)が、長男(44才)を刺し殺した。長男は〈ひきこもりがちで家庭内暴力があったという〉。

次に、〈その4日前には、神奈川県川崎市多摩区で、スクールバスを待っていた小学生らが刃物を持った男に襲われ、2人が死亡、18人が重軽傷を負った。直後に自殺した容疑者(51)も「ひきこもり傾向」で、親族が市に相談していた。〉

この2つの事件をめぐるルポである。

▼川崎市でスクールバスの小学生を襲った男について、

〈民放番組でキャスターやコメンテーターは「1人で命を絶てば済む」「1人で死ねよと言いたくなる」と相次いで発言。インターネット上でも同様の投稿があふれた。〉

具体的には、キャスターの安藤優子氏は「1人で命を絶てば済むことじゃないですか」、弁護士の北村晴男氏は「死にたいなら1人で死ねと言いたくなりますよね」、落語家の立川志らく氏は「死にたいなら1人で死んでくれよって、そういう人は」とそれぞれテレビで発言した。

▼その4日後、元農林水産事務次官の家庭で起こった事件について、

〈長男は実家に隣接する小学校であった運動会の音に立腹し、「うるせえな、ぶっ殺してやるぞ」と言ったとされる。「川崎の事件を知り、人に危害を加えるかもしれないと思った」「周囲に迷惑を掛けるといけない」。元農水次官の供述が明らかになるにつれ、わき上がったのは「父親を責められない」「よくやった」と犯行を擁護、称賛までする声だった。〉

▼この2つの事件を並べると、スクールバスの事件の4日後に、父親を息子殺しに追いやったのは、いったい誰なのか、という素朴が問いが浮かび上がる。共同記事の続き。

〈断言するが、この殺人の背中を押す力のいくぶんかは、あなたの発した何げない「1人で死ね」の声だ〉

 ひきこもり問題に長く携わってきた精神科医で筑波大教授の斎藤環は、練馬の事件が起きた翌日にツイッターで発信。社会の無理解が、当事者や家族を追い込んでいると警鐘を鳴らした。

 2000年の西鉄バスジャック事件などでも、犯罪とともにクローズアップされたひきこもり。時計の針が大きく巻き戻ったように、ひきこもりを犯罪者予備軍とするまなざしは今も変わっていない。

 斎藤はそこに優生思想の恐ろしさを見る。「練馬の事件では『元農水次官の英断だ』『社会に貢献しない存在は生きるに値せず、殺されて当たり前だ』と世間が反応した。これは相模原市の障害者施設殺傷事件の被告が発した言葉そのものだ」

「ひきこもりを人間扱いしない思想」が、事件をきっかけに、一気に噴出したわけだが、それは、「津久井やまゆり園」で大量殺人をした植松聖被告が、最近、産経新聞の取材に答えた「ベストを尽くした。『世の中の役に立つ仕事をしたな』と思う」という思想とまったく同じなのである。

▼「死ぬなら一人で死ね」と(SNSを含めて)公言する人々も、「ひきこもりの息子を殺してよくやった」と公然とほめたたえる人々も、身勝手な論理に支えられている。

まず、息子を殺した父親を称賛する人たちは、「人を殺してはいけない」という前提で発言している。そして、「人を殺してはいけない」と言っているくせに、「ひきこもりの息子を殺す」ことは称賛しているわけだ。つまり、この粗雑な論理では、「人」のなかに「ひきこもり」は入っていないことになる。

スクールバスの凄惨な事件についても、同じだ。「一人で死ね」と公言する人々は、「人を殺してはいけない」という前提で発言している。そして「人を殺してはいけない」と言っているくせに、「自分を殺す」ことは肯定している。

結果的に、この「一人で死ね」という感情ポルノ大好き発言が社会的にどういうメッセージになるかというと、世の中で言われる「人」のなかに「ひきこもり」は入っていない、というメッセージになるわけだ。

これは「言葉の暴力」以外のなにものでもない。

▼NPO法人「ほっとプラス」代表理事の藤田孝典氏が、これらの相次いだ発言に対して「「死ぬなら迷惑かけずに死ね」などの言説を流布しないでいただきたい。次の凶行を生まないためでもある」とネットニュースに投稿したら、藤田氏に対する非難中傷が、文字通り、雨あられのように殺到した。

筆者は、この現象が信じられなかった。

▼斎藤環氏の〈〈断言するが、この殺人の背中を押す力のいくぶんかは、あなたの発した何げない「1人で死ね」の声だ〉という発言を大きく取り上げるマスメディアはほとんどなかった。しかし、斎藤氏の他のコメントを取り上げるメディアはいくつかあった。

2000字を超えてしまった。ひとまずここまで。

とても暴力的で、とても他罰的で、とても自己責任論的で、とても優生思想に寛容な社会の中で、日本人は生活している。(つづく)

(2019年8月8日)

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