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「平成31年」雑感02 オウム真理教の死刑囚一斉処刑

▼「平成31年」が終わるのに際して、「平成」という時代について振り返る時間をつくりたい。先日は、「上皇と改元と憲法と」と題して、

■「上皇」の誕生

■「踰年(ゆねん)改元」の伝統

■憲法と「国体」と

の三つをメモした。

▼今日から何回かに分けて、「平成」を振り返るのに、いちばんわかりやすいテーマについてメモする。

それは「オウム真理教」である。

このテーマは、しばらくお祭り騒ぎが続いている「元号」や、すっかり絶対視されるようになった「国家」を相対化する。また、「死刑」という制度を通して、自分たちの「生命観」を相対化してくれる。

▼もう記憶のけっこう片隅に追いやられている人も多いと思うが、2018年の7月7日付の各紙に、オウム真理教の死刑囚7人が一斉に処刑されたニュースが載った。以下の記事は朝日新聞1面から。適宜改行。

法務省は6日、1995年3月の地下鉄サリン事件など計13事件で殺人罪などに問われ、死刑が確定したオウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(63)=東京拘置所=ら7人の教団元幹部の死刑を執行し、発表した。

国外にも衝撃を与えた一連の事件から四半世紀。死刑が確定した元幹部13人のうち、執行は初めて。〉

▼このときの法務大臣は上川陽子氏。

▼記事はこの後、7人の死刑囚の固有名詞が続く。

〈松本死刑囚は2006年に死刑が確定。12年を経ての執行となった。法務省によると、松本死刑囚の他に執行されたのは早川紀代秀(68)=福岡拘置所=、井上嘉浩(48)、新実智光(54)=ともに大阪拘置所=、土谷正美(53)=東京拘置所=、中川智正(55)=広島拘置所=、遠藤誠一(58)=東京拘置所=の各死刑囚。

法務省が死刑執行の公表を始めた98年11月以降、1日に7人の執行は最多。これまでの4人を大きく上回り極めて異例だ。

▼なぜ、過去最多の処刑を、このタイミングでおこなったのか。各紙報道に共通していた理由は一つ。

「平成」という「元号」を改める、「改元」である。

▼7月7日付の朝日と毎日の記事を紹介しておこう。

〈「オウム事件は、平成を象徴する事件。平成のうちに終わらせるべきだ」。ある法務省幹部は今年1月、最後まで裁判が続いていた高橋克也受刑者の上告が最高裁で棄却されたのを受け、こう語った。(中略)

2019年には天皇の退位で元号が変わり、新天皇の即位に伴う皇室の慶事が予定されている。20年には東京五輪の開催も控える。(中略)

執行が現実味を帯びた後は、共犯者は同時に執行する、との慣例から、13人一斉執行の可能性も検討されたが、見送られた。ある法務省幹部は「国際社会からみれば13人の執行はジェノサイド(大量虐殺)との批判を受けかねない。上川氏にとって、一斉執行の決断は重いだろう」と話した。

 実は、昨年からオウム事件の執行に向けた「地ならし」とも受け止められる死刑執行に対する法務省の姿勢の変化があった。

昨年7月と12月、1999年以来、約18年ぶりに相次いで計3人の再審請求中の死刑囚に刑が執行された。

オウム事件の死刑囚には再審請求中の人も多い。この日の会見で上川氏は「再審と執行は関係ない」と改めて強調した。〉

▼一読してひっかかる論点がたくさんあるが、とりあえず次に毎日記事。

〈執行時期の見極めは「複雑な方程式を解くような難しさがあった」(法務省幹部)。最も重要な要素は「改元」だった。

政府は昨年12月の皇室会議で天皇陛下が19年4月30日に退位され、翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位され、同日をもって新元号を施行する日程を固めた。

ある政府関係者は「皇室会議以降、時計の針は動き始めた。平成に起きた最大の事件は平成のうちに区切りを付けるというのが命題となった」と明かす。(中略)

来年に入ると慶事である改元が目前に迫り、死刑執行は現実には難しくなる。(中略)

可能な時期は国会閉会後の7月か12月に絞られていた。

その後国会会期の延長論が浮上し、結果的に約1カ月という大幅な国会延長が決まったが、政府関係者は「それで執行時期を先延ばしにするほどの余裕はなかった」と振り返り、事実上「日程ありき」だったことを認める。省内外で「死刑に比較的慎重」とささやかれる上川氏だが、6月下旬には「やむなし」との立場に傾いていったという。〉

▼「思想」とは、生活の「前提」になっているものである。「改元」が決まった瞬間から、法務省幹部たちにとって、「平成の事件は平成で終わらせる」ことがこの件に関する至上命題になった。

これが「命題」になること自体に、違和感はなかったように見受けられる。

そして、「国民」の大多数も、これらの説明を聞いてほとんど不思議に思わず、違和感を抱かず、あたかも当然であるかのように、きょうまで生活を続けてきた。だから、「元号」に象徴される「何か」が、日本社会の「前提」になっていることがわかる。

▼改元という「慶事」と重なる前に、忌(い)まわしい事件の13人の死刑囚はまとめて処刑しなければならない、というかたちで現れたニュースが、「日本ならではの思想」を物語っている。

ここでふと思うのは、オウム事件の死刑囚の数が13人ではなく、20人だったとしても、30人だったとしても、同じ結果になっていただろうか、という疑問である。

「生命は尊い」という思想と、「皇室の慶事の前に13人を処刑すべし」という思想とを天秤(てんびん)にかけた時、処刑の数が何人を超えると「生命尊厳」の思想のほうが重くなるのだろうか。いや、何人になっても、重さは変わらないのだろうか。

逆に、死刑囚が「1人」だった場合はどうなのだろう。

▼世代によって、この処刑報道に対する感じ方が、どう異なるのか、興味のあるところだ。

▼たとえば日本に住んだことのない人から「なぜ一斉に処刑したのか」と問われた時、その理由を説明するためには、極めて特殊な「元号」や「改元」という風習、制度について、まず説明しなければならない。(つづく)

(2019年4月13日)


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