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日本は優生思想に寛容である件(3)必要なのは「死ぬな」というメッセージ

▼東京都練馬区で父親が息子を殺した事件について、前回は、〈断言するが、この殺人の背中を押す力のいくぶんかは、あなたの発した何げない「1人で死ね」の声だ〉という精神科医の斎藤環氏の言葉を紹介した。

▼今回は、2019年6月14日付の朝日新聞に載った同氏の声。適宜改行。

〈元事務次官の事件への反応では、二つのことが気になります。一つは「誰かを守るための殺人だったなら仕方ない」と肯定する議論です。

「自分が殺されそうになったから仕方なく殺した」のなら、まだ正当防衛になる可能性があります。しかし「社会に害悪をもたらす人物だから殺すべきだ」というのは、まともな議論ではありません。

 もう一つは、殺された息子さんがふるっていたとされる家庭内暴力の件です。一部の人々は、暴力をやめさせるのは不可能だという思い込みから「息子を殺したのも仕方ない」と考えているようですが、私は、適切な支援とつながれば家庭内暴力は予防できると考えています。酷に聞こえるかもしれませんが、「息子を殺すしか方法がなかった」とは思えません。

▼筆者はとても説得力のある話だと思うが、今は、「理性」や「論理」そのものを憎悪する人々にとって、こうした話は逆効果しか生まない(つまりさらなる憎悪をかきたてるだけ)、という不安定な「ネット世論」になっている。

もちろん、「世論」というものはこうした「ネット世論」だけではないのだが、「ネット世論」が、とかく目立つようになっている。

▼斎藤氏いわく、ひきこもっている人は「自分自身を社会から排除している」のであり、必然的に「自己否定的」であり、自分のことを「価値のない人間」と思っている。

〈今回の事件を受け、ある当事者は「私は社会に要らない存在だから死んだほうがいい」と言いました。「私も親に殺されるかもしれない」とおびえる人もいます。

いま社会に必要なのは「死ぬな」というメッセージだと思います。

▼筆者はこの2カ月ほどで読んだ関連報道のなかで、この斎藤氏の「死ぬな」が、最も素晴らしいコメントだった。(つづく)

(2019年8月9日)

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