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風刺を楽しむのは必ずしも幸福とはいえないが、楽しみたい件

▼硬い雑誌に笑える読み物が挟まっていると面白い。「世界」の2019年4月号から連載が始まった、師岡カリーマ・エルサムニ―氏の「すぐそこにある世界」は、日本的な笑いとは一線を画した、アラブ世界の笑いの小報告である。

▼第1回は「ノコギリに笑う人々」。どの出来事を題材にしているのか、もう半年以上前の出来事だが、読んでいるうちに思い出す人が多いだろう。適宜改行。

〈「爆笑!」というコメントとともにアラブの友人から送られてきたリンクをクリックすると、ビデオ共有サイトにつながった。

どこか欧米の国で開催されているらしいきこり競技会の模様だ。屈強な男たちが、太い木を電動ノコギリできれいに素早くスライスしたり、斧で切ったりして雄叫びを上げている。これのどこが面白いのかというと、画面に貼り付けられたアラビア語の見出しが最高なのだ。

「サウジアラビア最優秀大使賞決定戦」。

 昨年10月、サウジ人ジャーナリスト、ジャマール・ハーシュクジ―(日本ではカショギと表記されることが多い)がトルコのサウジ領事館に入ったまま、行方が分からなくなった。

結婚に必要な書類を受け取るための訪問で、外で待っていた婚約者が通報して事件が発覚。後のトルコ当局の発表者メディアの報道で、彼が領事館内で殺害されたことや、その遺体がノコギリで切り刻まれ、処分されたことなどが分かった。(中略)

例のビデオは、「ノコギリを操れないとサウジの外交官は務まらない」というジョークなのである。〉

▼「それ、笑えるのか」と思う人もいると思う。ある国でとても有名なジャーナリストが、その国の在外公館で殺されるという、文字通り前代未聞の事件だった。

▼もう一つの小話。

「ある男にサウジ領事館から電話があった。メッカ巡礼に必要な入国ビザが発行されたので、旅券を受け取りに来いとのこと。さっそく男は領事館を訪ねたが、インターホンを鳴らして用件を述べると、門を開錠するのでお入りくださいという。男は慌てて、いえいえどうぞおかまいなく、旅券は窓から投げて頂ければ結構ですと断った」

「サウジ領事館に近づくとアラームが鳴るスマホのアプリ」も開発されたそうだ。さらに、〈「あなたと領事館に行きたい」は、夫に腹を立てた妻たちの罵(ののし)り言葉として流行した〉。

▼どれも笑えない、という人のために、師岡氏は丁寧に解説を加えてくれている。

〈アラブ諸国民が強権政治下で育んできた数少ない抵抗手段であるジョークにおいて、礼節を云々する余裕はない。人命を軽んじるような不敬さも、戦争や暴力や圧政が日常化し、自らの命そのものが自国政府からも国際社会からも軽んじられているのだから、際どい言葉に対する感覚が麻痺して当然である。

いかに冗談が面白くてもそれらが消極的抵抗でしかなく、非力の裏返しだという虚しさは拭えないが、積極的抵抗を試みた者を待つ過酷な運命を思えば、責めることはできまい。〉

▼風刺を楽しむことは、必ずしも幸福ではない。権力への風刺がすっかり影を潜めている日本のテレビの「お笑い」業界は、それほどひどい政治が存在しない幸福感をあらわしているのか、怒りを忘れ呆(ほう)けるほどに権力者の傲慢に慣れきってしまった弛緩(しかん)の一形態なのか、判断が難しいところだ。

▼昭和48年の10月、朝日新聞1面の「天声人語」に、のちに「盗聴テープ」と呼ばれることになる深代淳郎記者のコラムが載った。ネットで検索すればすぐ出てくるが、ここはぜひ本で読んでほしいとオススメしておく。深代氏の「天声人語」は、これまで筆者が読んだ日本語の新聞コラムのなかで、最高傑作である。その後の「天声人語」執筆者は気の毒だ。

▼2019年の今、1973年の「盗聴テープ」を読めば実感するが、この程度の冗談も通じないのが日本社会であり、近頃はますます通じなくなっている。根本的には、これは彼我の文化のちがいであり、優劣ではない。

しかし、日本社会もますます「多様化」しているそうだから、いつか、以下のような小話が流行るかもしれない。師岡氏のコラムの第2回から。

〈エジプトの改憲は、今回も圧倒的賛成多数で通過するだろう。今の憲法が2014年に承認されたとき、こんな小話が出回ったのを思い出す。

 新憲法をめぐる国民投票で「反対」に〇をつけたサラリーマン。帰り道、偶然会った同僚に尋ねられて反対票を投じたと答えると、「ダメじゃないか! 面倒なことになるぞ。すぐ戻って、間違ったから投票し直したいと言え。。

慌てた男が投票所に戻って再投票を希望すると、スタッフからはこんな答えが返ってきた。「こちらで修正してやったから心配するな。二度とこんなミスはするなよ」。〉

(2019年6月22日)

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