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「平成31年」雑感16 集団処刑への批判がほとんどなかった件

▼きのうのつづき。

▼きのう書き忘れたことが一つあった。1911年に大逆事件があったということを書いたが、二・二六事件と東京裁判のこともメモしておく。

大逆事件で12人が処刑されたのは1911年。ちなみに24人が死刑判決を受け、半数が明治天皇の「仁慈」を受けて減刑されている。

二・二六事件で、軍法会議で処刑されたのは15人。1936年のことだ。

東京裁判では、A級戦犯7人が処刑された。1948年のことだ。

▼さて、麻原彰晃死刑囚をはじめ7人の処刑のあと、6人を処刑して、日本という国家はオウム真理教事件の、刑事事件としての大きな区切りをつけた。2018年7月27日付の朝日新聞から。

法務省は26日、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した元教団幹部6人の死刑を執行し、発表した。今月6日に教団元代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら7人の死刑を執行しており、これで一連の事件で死刑が確定した13人全員が執行された。

 死刑が1カ月で2回執行されたのは、法務省が執行の事実や人数の公表を始めた1998年11月以降、初めて。「教祖」だった松本元死刑囚と、その指示に従った幹部たちが引き起こした凶悪事件は、異例の「大量執行」という形で節目を迎えた。

 26日に死刑が執行されたのは岡崎(現・宮前)一明(57)、横山真人(54)=ともに名古屋拘置所=、端本悟(51)=東京拘置所=、林(現・小池)泰男(60)=仙台拘置所=、豊田亨(50)、広瀬健一(54)=ともに東京拘置所=の各死刑囚。教団が起こした主な事件のうち坂本堤(つつみ)弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件のいずれかに全員が関与していた。〉

▼このニュースを知った時の率直な感想は、「血も凍る」という表現が近い。「国家って、力があるんだな、合法的に、ひと月で13人も殺せるんだ」と思った。

この2度目の集団処刑について、法務省幹部の本音が同日付の朝日新聞に載っていた。適宜改行。

〈法務省内では「残る6人の執行まで間を置いてもいい」という意見もあった。この20年で、1日に最も執行が多かったのは4人で、法務省幹部は「『大量執行』への批判を覚悟していた」と明かす。

しかし、上川氏が執行の前夜、自民党の酒席に出ていたことへの批判があったものの、執行自体に対しては大きなうねりが起きず、6人の執行を阻む要因もなくなった。

つまり今回、まず7人を処刑して、国民からたくさん批判を浴びるだろうと思っていたら、全然大したことがなくて、残りの6人もスムースに処刑できた、という話だ。

日本人の圧倒的大多数が、死刑制度を支持しているか、もしくは、そもそも死刑の是非について無関心であることが、「見える化」された。

▼「改元」が集団処刑に至る最重要の要因だったことはすでに触れたが、13人全員処刑の後、読売新聞にも以下の記事が載った。

検討の結果、定めた執行の「タイムリミット」は来年5月の改元だった。未曽有の被害をもたらしたオウム事件は、平成元年(1989年)から始まった。ある同省幹部は「平成の犯罪を象徴する事件は平成のうちに決着をつけるという強い意志が省内で共有されていた」と明かす。〉

やはり、ひと月で13人を殺した最大の理由は「改元」だったのだろう。

▼7月29日付の毎日新聞に、作家の村上春樹氏の意見が載っていた。適宜改行。

〈13人の集団処刑(とあえて呼びたい)が正しい決断であったのかどうか、白か黒かをここで断ずることはできそうにない。あまりに多くの人々の顔が脳裏に浮かんでくるし、あまりに多くの人々の思いがあたりにまだ漂っている。

ただひとつ今の僕に言えるのは、今回の死刑執行によって、オウム関連の事件が終結したわけではないということだ。もしそこに「これを事件の幕引きにしよう」という何かしらの意図が働いていたとしたら、あるいはこれを好機ととらえて死刑という制度をより恒常的なものにしようという思惑があったとしたら、それは間違ったことであり、そのような戦略の存在は決して許されるべきではない。〉

▼筆者もこの意見に共感する。

(2019年4月26日)

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