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日本は優生思想に寛容である件(1)植松被告の思想は広く共有されている

▼優生思想について、気になる新聞記事があった。

2019年7月27日付の産経新聞から。

〈植松被告 正当化続ける〉

〈「ベストを尽くしたつもりだ」。相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、26人が重軽傷を負った事件から3年を迎えるにあたり、植松聖被告は勾留先の横浜拘置支所(横浜市港南区)で産経新聞の接見取材に応じ、事件についてこう語り、一方的な主張を繰り返している。

(中略)姿は変わったが一方的な主張は変わらない。被告によると、事件の契機は、入所者が床などにまき散らした汚物を処理している際に「人に迷惑をかける源だと気づいた」ことだとする。

 そして、就寝中の入所者に声をかけ「返事がなかった場合に刺した」と振り返る。「今、思えば全部(入所者全員を)刺してしまっても差し支えなかった」と言い放つ。

 来年1月から始まる公判では、極刑が言い渡される可能性もある。その点については「仕方がない」と苦笑いを浮かべ、「ベストを尽くした。『世の中の役に立つ仕事をしたな』と思う」と事件を正当化し、謝罪や反省の言葉はない。〉

▼事件から3年の節目で、各紙が植松被告に取材した。

この産経の記事を読むと、植松被告の思想は、今の日本社会の合わせ鏡であることがわかる。

同じ優生思想のもとに、似たような「一方的な」主張を平然とSNSで書き込む、「言い放つ」、そうした主張に喝采を送る、自らを非を認めず延々と「正当化」を繰り広げる、もちろん、「謝罪や反省の言葉はない」、そういう人々がたくさんいる。

この植松被告の思想は、日本社会に住む日本人に、一定程度、受け入れられている。インターネットの中には、植松被告のような人たちの書き込みが溢(あふ)れ返っている。

だから、決して「一方的」とはいいきれない。他人事(ひとごと)ではない。(つづく)

(2019年8月6日)

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森往来のメモ

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