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聴覚障害者についてpart2

耳から音声の獲得が出来ない事から起こり得る事象

口話の音声の獲得が出来ない。
音声から獲得する経験値がない。
(想像力、自己検証能力など)
語彙が少なく、自分の考えを言語化し、伝えるまたは著すことが苦手。
自分の考えの言語化ができない。

先天性の聴覚障害者は、音声の聞こえ具合によりますが、その後の口話の習得が極めて難しい壁として立ちはだかると思います。

大きすぎる壁に対しての対応もまちまちです。

壁をしっかり乗り超える人。
乗り越えたと過信している人。
乗り越えたくても乗り越えられない人。
乗り越えることを拒絶した人。

この事に関して、私は体験したことがないので、想像を絶します。今の状態から察するには、すごく、すごく、辛い作業でしょう。
極み付けに、この先待っているのは、もっと厳しい環境です。
そういった中で、音声を聞き取りにくい人たちが小さい年代から行う事によって、自分で戦う力をつけることが出来得ることを述べさせていただきます。
またもや、独断と偏見です。

本を読む習慣をつける

小さい年代から本を読み目視から情報を得て、思考する習慣をつけると共に語彙を増やす。
思考する習慣と語彙を増やす事により、口話能力や文書表現力の習得の幅が広がる。

聴覚障害者ではない人と数多く接する

大衆的なコミュニケーション手段を学び、聴覚障害者という小さなコミュ二ティだけではなく、様々なコミュニティのことを知り、腰を据えることが出来るようにする。
多くの人に自分の長所と短所を聞き、人間形成に役立てる。

何か嫌な事に直面したら、聴覚障害者同士が集まって、傷の舐め合いをする習性があります。そんなことしたって、なにも状況は改善されず、余計膿むだけ。見ていて、聞いていて、良い気分ではない。って言い過ぎました(笑)これは是が非でも改善する必要があるので、どんどん自分の殻を割って、チャレンジするべきです。
本当に信頼できる人を作る。(聴覚障害者ではない人でも。)

人と競争する厳しい環境に身を置く

社会が守ってくれない、福祉制度の恩恵を授からないところで、自分の力で道を開く能力を身につける。
聴覚障害者は、福祉制度や目先の恩恵を追う癖がある。そうでなくて、本当に大切なものはなにかを身をもって学ぶことが必要だと思います。
自分の人生において、責任を取れるのは自分だけしかないからです。誰も責任は負ってくれません。
障害者という立場を利用して逃げるのは別です。障害者であることを棚にあげれば、守ってもらえると思ってはいけませんし、本当に厳しい状況において、誰も守ってはくれません。

現代社会的における弱者である事実から目を逸らさない

ここからは切っても切り離せない。
これを認めて、自分のことを知り、人間的な成長を求めない限り、自身のことはもちろん、周辺環境も何も変わらない。
今、ノーボーダーとかなんとか言ってますが、言葉先行の制度ありきで、そういう風習ができつつある事に聴覚障害者は酔っているだけ。または歩み寄ってくれる人におんぶに抱っこ状態です。多くの人や障害者は、本質的な事には目を背けている。こんなん進めても聴覚障害者当人の人間性がクソでしたら、本末転倒です。
大多数はネットに上がっているようなKYとかそういう人たちなんですから。そうじゃないって言える人たちはまずいません。そういう特徴は間違いなくあり、それを是正する作業を自分たちでやらなくては、これから先、なんも良くなりません。

私自身もとても未熟です。
だからこそ、現状をしっかりと理解しようと努め、成長を心の底から渇望しています。

最後まで読んだいただき、ありがとうございます!