本願寺_広島別院

本願寺「南無阿弥陀仏」鳴鳳 親鸞 こそ ホトトギスの正体

鳴かぬなら
 「殺してしまえ」 とは 信長で 
 秀吉は 「鳴かせてみせよう」
 家康は 「鳴くまで待とう」
と形容される
ホトトギスの正体は 実は 本願寺のことで 主題は西国の覇者にある

西国の覇者は 日本列島 広い島の 天下統一の覇者 として
「南無阿弥陀仏 なもあみだぶつ」 と 念仏を唱えたのである 

戦国時代は 室町時代の 応仁元年(1467年)に発生し
文明9年(1477年)までの 約11年間にわたって継続した 内乱に始まる
とされるが この時代の 西国の覇者は 大内(おほち)氏 であった

つまり 西の京 山口時代 が 史実

やがて 西の京 山口時代の 西国の覇者は
天文24年(1555年) 嚴嶋の戦 を機に 毛利(もうり)氏となるが
西国の覇者と一体化した 本願寺の歴史こそ
http://www.hongwanji.or.jp/hongwanji/history.html
秀吉の天下統一と 関ヶ原の史実を そのまま後世に伝えるが
これには続きがある

関白秀吉による 天下統一で
毛利輝元は < 日本列島 広い島 >  と 「広島」平和宣言をした

そして 広島毛利は 本願寺開基としての 築城の際
広島城 紋瓦を 「太閤桐」として「鳴いてみせた」
https://note.com/ousamaosamu/n/nfcf372df2f06

防長における 浄土真宗の沿革の 寺伝は
「広島」平和宣言以前の 西国の拠点 西の京・山口 周辺の動きとして
大変貴重な記録の史料である
https://www.yamaguchibetsuin.net/%E7%9F%A5%E3%82%8B/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C%E3%81%AE%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%97%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/

太閤秀吉の五大老 毛利家と徳川家による 西軍と東軍の戦(たたかい)は
<1600年 関ヶ原> で終わったのではなく
「鳴かせてみせた」 秀吉の寄進地と
「鳴くまで待った」 家康の寄進地である
京都・本願寺の 東西分立の形で続けられていたが
<1867年 二条城での 江戸倒幕> によって
広島毛利藩 長州藩の西軍が 勝利を収めた 広島鯉物語「一品」が 正史
https://note.mu/ousamaosamu/n/ndc19d7793fdc

鯉は滝を登りて龍となる

< 念仏天下茶禅一味一品 > の 一座は 萩茶碗

このとき 本願寺は 「南無阿弥陀仏 なもあみだぶつ」と 念仏を唱えた

本願寺広島別院の西側にある 「天満川(てんまがわ)」は
http://www.aki.or.jp/
「鳴かせてみせた」 豊臣時代の 大坂(おほざか)・天満本願寺
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA
を いまに 伝承している
https://www.toyotomi-ishigaki.com/hideyoshi/1701.html

鳴鳳 親鸞 南無阿弥陀仏
釈 鯉修

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