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鷲頭氏の 妙見本宮 降松神社 と 西の京 山口 そして 日本列島 広い島 の 広島 へ

妙見本宮 降松神社 は
御神紋 『鷲頭剣花菱』からも 明らかなように
大内(おほち)家 本家 多々良氏 の ルーツ
周防國 守護職 天孫族 鷲頭(わしず)氏の 本拠 鷲頭の庄に
推古天皇3年 595年 仏教が伝来した 伝承地であることを
創建1425年の 現代(いま) に 伝えている

創建は 朝鮮半島 百済(くだら)の 琳聖太子 とされており
甘露 琳聖太子 は カンロ飴 の 由緒
https://www.kanro.co.jp/product/detail/id=619

シルクロードによる 仏教伝播の 瀬戸内海 仏教伝来は
山口県下松市の場合 正確には 出雲神話を元にした
正統ある 神道 鳥トーテミズム(鷲)と 妙見(鷲)との
神仏習合であった と云える

つまり 妙見(鷲)を 鷲頭氏の 氏神様として 祀った由緒が
降松妙見社であり
百済津(くだらつ)の 下松(くだまつ)としての由緒になった

アラビア語で 鷲を意味する アルタイル(七夕の彦星)は
わし座 で 最も明るい恒星 全天21 の 1等星の1つ

ドイツや スペインなど では 視力や 観察眼に 優れていることを
慣用句で「鷲の目」と云い つまり 妙見(鷲)なのである

明治時代には 神仏分離令によって 妙見宮 鷲頭寺が 分離されている

なお 七星降臨鼎(かなえ)之松の碑と 鼎(かなえ)之松が
下松駅の すぐ近く 北斗町 金輪神社の 境内(けいだい)にある

妙見本宮 降松神社に 関連する文化財は
古都奈良 法隆寺 五重塔に対する おいでませ 西の京 山口へ の
山口時代の シンボル 瑠璃光寺 五重塔を含め
多々良氏をはじめとして 栄華を誇った 大内(おほち)家の文化の
ルーツの由緒として 世界的に価値あるものであり
世界遺産への登録も 可能と考えられる
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1210015200/1210015200100010/ht002840

切戸川は 妙見本宮 降松神社との聖域の 境界の役割の川 と考えられ
笠戸島は 飛地の 聖域の島と 考えられる

降松神社 由緒を ぜひとも 御覧あれ

「多々良家 滅亡の後 鷲頭山既に廃せんとす時に
 大江元就公 尼子退治の宿願により 永禄年間社頭を修復す」
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-yamaguti/jsearch3yamaguti.php?jinjya=6860&fbclid

https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%99%8D%E6%9D%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@34.0191939,131.8844657,3a,75y,90t/data=!3m8!1e2!3m6!1sAF1QipNkaQdTiBLAQNXVPDvWpaHmmJktA16X8ljs7Qws!2e10!3e12!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipNkaQdTiBLAQNXVPDvWpaHmmJktA16X8ljs7Qws%3Dw203-h114-k-no!7i4716!8i2654!4m5!3m4!1s0x3544e054ae811afd:0xc9552a8e2fcd2551!8m2!3d34.0191965!4d131.8844533?hl=ja

南無阿弥陀仏 鯉修


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