パートナーについて考える。

hiroyuki_fujiwaraさんのお写真をお借りしました。
きれいなブルー。涼しげで、寂しげでいいですね。
素敵なお写真をありがとうございます。

今日は1日中、友達とぽつぽつSkypeチャットをしたり、
途中で通話に切り替えたりして遊んでもらった。
私は途中でご飯を食べたり、寝落ちてみたりして
かなり自由に過ごさせてもらった。

どうもこのところ、疲れているらしい。
現職に就いてから4ヵ月。思えばずっと疲れている。
仕事に慣れないということもあるけれど、
職場での「常識」への疑問とか、
ひとりで生活することへの心もとなさとかが相まって、
どこにも行けなくなっているようだ。
そういうときに、こうやって友達と話をできるのは
純粋にとても楽しいし、何よりありがたい。
……私の発言のうち、ほとんどが愚痴や不平不満になってしまうことを、
非常に申し訳なく思いながらも……。

で。この歳になってくると、大概「結婚」の話題になる。
誰それが結婚した、婚約したという話から、
お前はどうなんだ、そういうお前は?と話が進む。
私はここまでの人生でほとんどまともに「恋愛」をしたことがなくて、
少なくともパートナーがいたことはなくて、
だから「結婚」はかなり縁遠い話題だ。
実親からも期待されていないし、自分自身でもあきらめているけれど。
そんなわけでもっぱら、猫との2人ないし3人暮らしを夢見ている。

さて、少し戻って「恋愛」について。
未だに「恋」とはどんなものなのか、形を知ったことはないけれど、
きっと人を好きになったことはあるのだと思う。多分きっとmaybe。
セクシャリティは多分ヘテロ寄りのバイ。
パンセクシャルとは違う感じがするので、まぁ多分ヘテロ。
同性だからという理由で相手からの好意を拒否することはないな、
あるいは自分の好意をあきらめることはないな、という感じ。

自分の中の「好意」は3つくらいのカテゴリになっていて、
それらの色相的グラデーションと濃度的グラデーションで
区別されているような気がする。
ひとつは、アイドルに向けるような「きゃー!好きー!」という好意。
近くにいたり、喋るだけで顔が真っ赤になるような。そういう好き。
もうひとつは、相手とのパートナーシップを妄想する好意。
性交渉を含め、「パートナー」として相手を見ている感じ。
最後が、母性としての好意。
相手が傷つけられるとどうしようもないくらい怒りがわくし、
傍に行って助けてあげたい、と思う。
ずっと一緒にいるわけではないけれど、必要なときは駆け付けたい気持ち。
それらがぺっとり同じ次元にいて、相手によって一番際立って感じる感情が変化するな、と感じている。

多分私はこのままパートナーを得ることはないと思う。
想像しただけでも涙が出てきて、強く拒絶反応が起きてしまうのだ。
私は極端に自己評価が低いので、好意を抱いている相手に自分と同じ次元まで落ちてきてもらうことに対する嫌悪感が先に立ってしまう。
無理、あなたはもっと素晴らしいパートナーと出会って、そして幸せになって、と想像の中でさえぼろぼろと泣いてしまうので、
いわんをや現実を、だ。無理無理。

とはいえひとりが寂しいというのもまたひとつの現実なので、
次に引っ越すときはペットOKのところを探して、
猫ちゃんを飼おうと思う。
マンチカンとかスコティッシュとか、取り分け可愛いよね。
それまではひとりで……がんばるんだな~~~~。

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