見出し画像

紫式部とかいう個人サークル主 —平安時代とFGOにとっての「物語」—

 歴史と神話と物語をめぐるスマートフォン向けゲーム「Fate/Grand Order」、『源氏物語』と眼鏡属性を引っ提げてついに紫式部が参戦した。
 しかも実装記念のバレンタインイベント、シナリオが大変よかった。心を伝えること、心のうちの秘密を守ることを丁寧に描いたよい話だった。そして何より「書くこと」の話だった。

 シナリオ中に、アンデルセン、シェイクスピア、カエサルという人類史に名立たる文筆家たちと紫式部との交流を描いた一幕があった。高名な作家英霊たちに憧れのまなざしを向ける紫式部。
 だがそうして目をキラキラさせている紫式部本人も、同人作家サーヴァント生活を送る刑部姫にとってはまぶしいほどの存在。けれども紫式部は刑部姫にこう言う。自分たちは「時を超えた同志」のようなものだ、と。なるほどと思った。
 そういわれれば、紫式部は確かに刑部姫の仲間だ。だって同人作家だもの。

 紫式部はプロの作家ではない。日本でプロ作家、つまり職業として、作品で直接収入を得られる物語作家が誕生するのは江戸時代になってからだ。

 ①仏典などの重要資料以外も大量印刷できる技術と資源
 ②町人文化の発展

 これが両方揃ってはじめて「物語」は飯のタネになる。それ以前は誰も……もちろん紫式部も、『源氏物語』で原稿料をもらったりしていない。冠婚葬祭や四季の行事に生活の一部としてあらわれる和歌ともまた違う。ただ、自分がそれを書きたいから、書く。つまり同人作家だ。

 紫式部を同人作家と呼びたい理由はもう一つある。当時、物語の地位というのはとても低かったからだ。
 現代なら、創作作品は著作権によって保護され、作者の名前とセットで広まる。しかし平安時代に著作権はないし、付け加えて言えば、物語が「作者のもの」であるという意識もなかったのだ。それは「誰だかよく分からん人が書き散らして、適当に読み捨てられるもの」にすぎなかった。
 漢詩は公の文学なので、優れた漢詩を作れば作者の名前がよく知られて高く評価される。
 和歌は平安時代の初めは漢詩に比べて低級なものと見なされて、『古今集』の編纂などを通じて次第に地位を向上させたが、それでも漢詩よりは長いこと一段も二段も格下だった。
 しかし物語の地位は、和歌のそれよりもさらにずっと低かった。女の遊び、手慰み。『夜鶴庭訓抄』には
物語は、手書き書かぬことなり。人あつらふとも、とかうすべりて書くべからず(物語は、書家たるものは書かないものである。書家は漢詩や和歌というれっきとした文学だけに手を染めるべきであって、物語などはたとえ人に頼まれたとしてもどうにか言い逃れて、決して書いてはならない)」
といったくだりがあって、軽んじられるというよりもほとんど見下されている。当然、そんなものに作者が誇りをもって記名するなんてことはありえない。『源氏物語』もたまたま日記に記事があったから特定できただけで、そうでなければ当たり前のように作者不詳だった。

 一銭のお金にもならないのにただ書きたいから書いて、読みたい人が読む。書家でもない素人が、一文字ずつ紙と筆で書き写して広めていく。平安時代の「物語」はみんな、そんなふうにして生き延びてきた同人作品なのだ。
(実際ほとんどは生き延びられなかったし、忘れられた。「資料にタイトルがあるから昔こういう物語が書かれてたらしいことは分かる、でも本文が一枚たりとも残ってねえ、いったいどういう話だったんだ」って作品が200くらいある。タイトルさえ残ってない木っ端作品はきっともっといっぱいある。研究者は泣く)

 話を戻そう。FGOのシナリオ中で「作家英霊」として登場したアンデルセン、シェイクスピア、カエサル。この三人の共通点は「仕事として作品を書いた」ことだ。カエサルは職業作家でこそないが、彼の戦記はいわば文学性の高い職務記録。
 紫式部が三人に憧れのまなざしを向けるのは、彼らが「プロ」だから、という理由もきっとある。

 じゃあ刑部姫には? FGOの彼女はひきこもり気質のオタクで同人やって本を出したりしている。シナリオの彼女は「作家といっても同人作家だし、大著を残したわけでもないし」と自分を卑下するけれども、紫式部にしてみればそれこそが「同志」なのだ。
 仕事じゃない、名誉にもならない、ただ書きたいから、それが楽しいから書いた。
 紫式部のマイルームボイスで「刑部姫様! 読書会をいたしましょう!」というのがあるのを聞いたときはちょっと笑ってしまった。好きな物語についてあれこれ語り合う当時の宮廷女房たちのサロンと、刑部姫にとってのオタ談義が、当然のように地続きのものとして描かれている。

 紫式部はTYPE-MOON、あるいは作家・那須きのこの写し鏡のようでもある。同人サークルとして出発し、その物語が人気を博し、いまや企業(職業作家)として活躍している。
 紫式部は執筆中の『源氏物語』の評判を聞きつけた藤原道長に召し出されて、『紫式部日記』を書いた。この日記には中宮彰子の皇子出産という慶事を記録する役割も課せられていたと考えられており、作品自体で稼ぐわけではないから商業作家とはいえないにしても、ある意味ではカエサルの『ガリア戦記』と同じく職務としての執筆といえる。
 「同人作品が認められてそれが職務になる」という道筋をたどった紫式部を、FGOで「同人作家の少女を『時を超えた同志』と呼ぶ」キャラクターにしたこのシナリオは、平安時代と現代の「物語」、そして書き手たちをつなぐものであったと思う。

 これほど丁寧に平安創作と向き合うシナリオが書かれ、『古今集』が紫式部のイチオシとして挙げられ、かくなる上は紅衣の病弱ロリジジイ☆3[ライダー]紀貫之の実装ももはや秒読み段階と言ってよく、時は既に待ったなし。実に楽しみなことである。

(2019.2.15 相知蛙)

こちらは投げ銭機能です。いただいたお金は書籍代、図書館への交通費、資料取り寄せ費、印刷費、コーヒー代等にありがたく充当されます。