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破滅に向かわせる純愛ファシズム

さすがに加熱しすぎる不倫報道にちょっとドン引きしてしている。

サルモネラ菌じゃないんだから、気に食わないからと言って加熱したところでどうにもならんだろう。

ここに感じる違和感、なんだろうと思ったら大きくふたつ。

そもそも誰と誰が一緒に過ごそうと一夜を過ごそうとちょめちょめしようとどうでも良い話じゃないか。議論が白熱した挙句に夜を徹して日付変更線とか円周率とか独占禁止法とかにジュラ紀とかセネガル国歌とか1987年の11月8日について熱く語りあっているかもしれないじゃないか。

話のレベルが誰と誰が付き合ってたヒューヒューというちょっとマセた中学生と変わらない。
でもその論点は他にもたくさん書かれているからこれ以上は書かない。

そしてもうひとつ。

今、世の中に蔓延している純愛思想、純潔思想がちいとばかし行き過ぎてもはや狂気のファシズムすらも感じられる。

確かに純愛は素晴らしいだろう。生涯にわたりこの人だけ、なんて強くて美しいパートナーシップだろう。

それはいい。けれど他人に強制する程のものではないだろう。

たまたまこの国が一夫一妻という文化を敷いているというだけだろう。

たまたまそういう民族なだけで、それが世界の全てに共通する唯一つの真理というわけではないだろう。

一人の人としか関係を結ばないなんて、この種を根絶やしにする気か。外乱に弱くなるぞ、この不貞者め、とか言われる場合だって考えられなくもない。

もしも多夫多妻のところに生まれたとき、世間に対して謝れと言えるだろうか。むしろ吊るし上げられ糾弾され制裁を受けるのは、自分の方じゃないのか。

多様性の社会に向かおうとしている。

次々とマイノリティは溶けていっているじゃないか。

当然のものとして振りかざしている正義。
本当にそれで良いのか、一考しないといつか自分に返ってくる。

世間では魔女狩りの獲物を今か今かと探している。

文春砲という狼煙が上がる。

大衆は我こそが正義と言わんばかりに石を投げる。

かつてアジアNo.1だった国は、いつの間にかこんな恐ろしい魔女狩りの村になってしまった。

パートナーシップの形はたった一つの正解だけが許容されるべきなのか。

そんな事はないだろう。

純愛物語、永遠の愛、、、ああ、なんか書いてて恥ずかしくなってきたけど、素晴らしいよ。

けれど永遠の愛が約束され、1個体が1個体としか子孫を残さなくなる。

するとどうなる。世代を経るに従って多様性は失われ、皮肉なことにその種は破滅に向かってしまう。

#コラム

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