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全てのメタルは消耗品である

テメー聴いた事も無いクセにSLAYERのTシャツとか着てるんじゃねーよ、ローラお前の事だよ!問題が近年における国際的な文化の摩擦として取り上げられる。

このことについて、文化批評的な考察をしてみようと思う。

もしかしたら、明日から始まる一年で最も楽しいさいたまスーパーアリーナで行われる日本で最もバスドラが鳴るフェスを楽しみしている人達を敵に回してしまうかもしれない。

いやいやメタルファンの敵というのは、輸入盤に貼ってあるあの忌々しいシールの事ではなかったのか。

しかし、ここは人柱になってでも文化の発展の為に語る。あくまで一つの意見として捉えて頂ければ幸いである。

ちなみにお前が一番わかってねーだろ軽々しく語ってるんじゃねーとか言われそうだけども、一応DISK UNIONメタル館にいくら上納したのか考えるのは恐ろしい程度には通ってきている。

ARCH ENEMYはアークエネミーと発音するし、悪い音質にも寛容な広い心を持っている。B!誌を読むときはまず輸入盤のレビューから読む。ジェームス・マーフィー参加作品はチェックし、スティーブ・ディジョルジオ参加作品も外せない、やっぱりジーン・ホグラン参加作品もチェックしたい。インスタグラマーのステマには騙されなくても、帯のたたき文句にはまず騙される(ブッ潰してやる、とか)。

まあ、そこそこ聴いている方なんだけど、はっきり言おう。

是非着用してくれ。マジで。

別に1秒も聴いたことなくてもいい。
誰一人としてメンバーを知らなくてもいい。
なんとなくロゴがカッコ良かったからでもいい。

何か引っかかるものがあったら、少しでも食いついてほしい。

お世辞にも聴きやすくてポップでキャッチーだとは言えない。どのパートをとっても習得するには膨大な時間と地味な練習の積み重ねが必要で、音数も多く楽器の維持費もバカにならない。

そんな狭い狭い針の穴のような門のこの世界にきっかけはなんであれ興味を持ってくれたなら、地獄へようこそ、と歓迎するのが礼儀なんじゃないかとも思う。

逆の立場ならどうだろう。スラッシュメタルから世界情勢を調べ、北欧メタルからクラシックに入り、ブラックメタルからキリスト教の歴史を調べ、妖怪メタルから日本の古典を読むきっかけになる事だってある。そのときに、ニワカ扱いされて追い払われたら、ちょっと切ない。

礼には礼を。ヘッドバンギングにはヘッドバンギングを。

知らないアーティストのTシャツをファッションとして着る。対してわかってねーくせに着てるんじゃねーと一蹴してしまうのは、ちと寂しい。これは決して表舞台に出ることのできなかったようなタイプの音楽が、何十年とかけて文化教養のレベルにまで登りつめてしまったという喜ばしいことなのではないか。

そして録音技術が生まれて100年。情報をパッケージした物質から他人の物語に憑依して楽しむ録音芸術としての文化は終焉を迎えようとしている。あらゆる音楽は消耗されつくし、世界の隅々にまで溶け込んだ。

しかしそれは音楽の敗北ではない。

質量を放棄した事で、もしかしたら言語よりも先にあったかもしれない、自分の物語を引き出す本来の形に回帰しようとしている。

音楽はエンターテイメントの主役を諦めて消耗品となることで世界に溶け出し、次の文化へと進化してしまったのである

決して複製する事のできない思い出を鮮やかに引き出してくれるのは、音楽が生活の隅々にまで溶け出しているからこそできる芸当だと言い張りたい。

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