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今更ながら星野源の魅力を語る話〜②独自性〜

 私の「推し」である星野源。今や押しも押されもせぬ音楽界のトップアーティストであり、以前書き連ねたように彼の音楽性の豊かさは大きな魅力のひとつであると思う。しかし、星野源という存在のすごいところは他のアーティストとはベクトルが違うその独自性にも表れているのではないか。と考える。当然、私以上に星野源に詳しいファンの方もおられるので、「そんなこと当然だろ!」とお叱りを頂くかもしれないが、もし読んでおられるなら、いちファンの戯事と温かい目でご覧頂きたい。と、ここまで書いて思ったんだが、なんだか前回といい今回の出だしといい中途半端な評論文になっている気がする…。今回はもう少し自分の個人的な思いを全面に出してみようかな。

 さてさて本題に戻って星野源といえば、音楽、俳優、そして文筆活動が大きく3つの柱。面白いのがこの3つの柱はそれぞれ別のベクトルを向いているっぽいところ。本人も語っていたが、ミュージシャンが俳優業を始めたわけではなく、それぞれ別個にスタートしているので、例えば音楽で成功して売れたから、その延長で俳優をやったりしているのではないらしい。俳優としての活動も文筆活動も、売れていない頃から取り組んでいたのだとか。

 星野源が幼いときから音楽に親しんできたのは有名として、演劇の方に興味が湧いたというところもとても面白い。自分も音楽、読書、映画、はたまた劇団四季なんかも好きなのだが、人間色々な物事に興味があった方が断然面白いと思う。それは自分にとっては趣味の幅が広がるからという意味合いがあるのだけれども。
 一方で星野源は音楽や俳優業、文筆活動を生業にした好きなことを仕事にできるのは幸せなのか否か。こればっかりは本人にしか分からないが、当時の星野源の気持ちってどんなものだったのだろう。色々な可能性を自分から引き出すためにもがいていたのか、色々やりたいことが多くて全てにチャレンジしていたのか。少なくとも、自分の視線からは、その姿勢にネガティブなイメージは全くない。もがいてもがいてトライ&エラーを繰り返して、チャレンジしていた全ての行動が彼の経験値としてそれ以降の星野源としてのレベルアップにつながっていたはずである。本人曰く、若い頃はネガティブの塊だったとのことだがそんなことないでしょ。尊敬します。何気に、自分がnote続けているのも星野源に影響されて何か新しいことを始めてみようと思ったのがきっかけなのだから。

 今回は短めにまとめ。三位一体という言葉がある。星野源という存在は、向きの異なるベクトルが広がった上での大きな一つの形、三位一体なのかもしれない。しかも個々のベクトルは今現在も突き進んでいるので、どんどん大きく、成長してゆく。歳を重ねるにつれ、これまで以上に新しいものに挑戦し、私たちファンに驚きと感動を提供してくれる星野源から目が離せない。
                   ではではTo be continued…

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