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note再開!娘の闘病記編、開幕!!

今から2年半ほど前に職場環境の変化によるストレスから、心の栄養と脳の学習を促進するためにnoteをはじめた。察しが言い方はもうお判りだと思うが、やはり今回も心のしんどさに比例して、脳内整理がうまくいっていない現状をできる限り整頓するために「書こう」と思う。

今回は一人娘の病気の発覚だ。
今からひと月ほど前、犬の散歩で家族3人で歩いていたところ、貧血で娘が意識を失うことがあった。救急車を呼び、娘の状態を確認するとすぐに意識が戻った。救急隊の到着後も体を調べてもらったが、現時点での異常が見られず自宅で様子見となった。一応HPVワクチン接種を行っている途中でもあったので、女性クリニックで血液検査をしてもらった。その結果がかなり良くない。白血球、ヘモグロビン、血小板の値をはじめ血液成分が全体的にすこぶるよくないのだ。すぐに近くの総合病院へ紹介してもらい、そこでも同様の結果だったため大学病院への紹介となった。

検査入院をするから春休み直前で学校への登校はドクターストップ。娘は中学1年生で、クラスの友達との別れを惜しんだが我々両親は血液検査の結果に戦々恐々となっていた。

通常なかなか入れない大学病院へすぐに検査入院できる手配が済んだころ、我々は白血病を疑い始めた。口に出すのも恐ろしい病魔が娘を襲っているのかもしれない。母親は娘の前でぽろぽろと涙を流す。私は何とか冗談やあっけらかんとした空気を醸成しようとしたが、娘も涙を流し病院を後にした。よく晴れた3月の真ん中。奇しくも僕が沖縄に始めてやってきた時と同じ春のある日のことであった。

落ち込みムードも入院までの2日間で、手作りのミートソーススパゲティや、けらけら笑えるテレビ、アマゾンプライムで見るアニメ、おいしいスイーツやお菓子などで気が紛れていった。

2日後、限られた時間でできる準備をすべておこない、一路40~50分先の大学病院まで。妻はポロポロシクシク涙を流し、娘は不安と予測できない新たな環境に淡い期待さえも少し持っていた。友達ができる、完全に治る、すぐ退院できるという思いが強いのだろう。

病院へ着くとまずは入院手続き。そして医療費助成等の難しい制度の話で混乱するも、最近は病院の中にLAWSONやドトールなどもあり、中庭の緑や眺望のいい病棟からの景色にも少し救われて、いよいよ担当医のいる小児科へ。しかしそこには骨髄移植を主としたセンターで我々は今一度現実をたたきつけられる。病室に入室できるのは付き添い1名で、これは妻が名乗り出た。この時の妻の思いは後で述懐するが、僕としては妻と娘のきずなの強さに賭けた部分があった。検査で担当医から説明があるまで6時間ほど空くので、僕は一度家に戻ることにした。帰り道のラジオからはTHE BOOMの「風になりたい」が流れ、僕はそれを口ずさみ、いくつもの交差点で神様にお願いした。「どうか無事に退院させてください」と。

帰りに職場に寄り同僚に現状の説明をしながら、少し落ち着きを取り戻している自分もいた。とても客観的になれるのだ。ここでも心のバランスをとるためにあらゆる人の力を借りようと思った。職場、友人、知人、家族、専門スタッフ、お医者さんからなるチームを娘を中心に形成していきたいな。

家につき昼ご飯を何とか摂っていると、妻から「私も泊まる」との報告が。付き添いが許可されて、明日から3連休が始まるから連泊できるといいな、と思った。しかし妻の意志は予想を超えて強固なものであった。「私、娘が治るまでここを出ない」。僕は「わっ!」と思った。妻は徹底抗戦を誓ったのだ。仕事のことや家のことをすべて乗り越え娘のために誠心誠意尽くす心構えを言い放った。僕はびっくりした半面、そうなれば僕もできる限りのバックアップ体制といつでも交換要員として変われるように準備しようと思い、長期戦に備え家じゅうのものを鞄に詰めだした。行動はいつも正しい心を導いてくれる。いやな思考は頭から離れていった。僕に今できることを最大限行う。

山のような荷物を抱え、いまからエベレスト頂上を踏破するようないで立ちで病棟へ向かった。もう迷いはないが、やはり診断の結果を聞くのが怖い。妻に荷物の到着を伝え、病棟の対面室へ通された。

主治医の話によると、白血病・ヘモグロビン・血小板の値が低い。すぐに輸血というわけではないが、正常値からは遠い。まず親御さんが一番心配している白血病、この可能性はなく、診断としては「再生不良性貧血」となる、とのこと。造血幹細胞を攻撃している自己免疫の暴走行為が体内で行われているとのことであった。現時点で医療は介入しない。経過観察しながら、都度対応していくという話であった。

僕らは心底ほっとして、驚愕して、妻と顔を見合わせ、とにかく爆弾は抱えた状態だが、局地戦は先延ばしとなった安堵感に包まれていた。即日退院が決まり、僕らは荷解きから荷造りへと移行し直ちに大学病院を後にした。娘も大喜びだし肩透かしもあって、家族でこの地獄から天国への行き来に大笑いして帰ったが、何より心底ほっとした状態であった。妻は自分の心の決断が何であったのか思い直し、またその覚悟と現実の結果の落差に虚脱しながらも明るく笑っていた。

とにかくこれから未来に起こるであろう本格的な戦いを前に、経済的にも家族全員の心身のコンディション的にも、整え備える準備戦が始まったのだ、が僕らは呑気にその日を過ごすことにした。今はもう何も考えたくないのである。。。家に着くと僕は早々寝床についてしまった。


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