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ジャイアントを持ち上げた男。

1984年、一人のレスラーがアンドレ・ザ・ジャイアントを持ち上げた。
ボディスラム。
アンドレは、認めた者しか その権利を渡さなかった。
当時、男はバリバリで人気沸騰だった。
だからこそ与えたのか。
だからこそ認めたのか。
それこそ会社の方針だったのか。
たかがボディスラム。
されど、ボディスラムだ。
その技で選手に身を預けてるのだ。
選手も預けられているのだ。
そこにも勝負がある。
ただ言える事は、持ち上げた数少ないレスラーの一人となった事である。

第二回IWGP。
誰もがアントニオ猪木が優勝するものだと思っていた。
ホーガンへのリベンジ。
それを待っていた。
願っていた。
だが、ジャイアントを持ち上げた男の不法乱入。
バッドエンディング。
蔵前は大暴動と化す。
「プロレスがおもしろくなくなった」
「IWGP?はやく終わってほしいよ」
ブームになれば、必ず廃れていく。
だが、プロレスは絶対に無くならない。
聞こえてくるのは、非常ベルだ。
男はIWGPでは、ただの駒だったのか。
しかし、その二ヶ月後。
男は最後の蔵前でアントニオ猪木と素晴らしい名勝負を残す。
その数ヶ月後、男が愛した青山を去る。
「良い大掃除ができた」
アントニオ猪木は言った。

だが、二年数ヶ月後に新日本プロレスにUターンしてきた男は、大きくなっていた。
男は、フィニッシュする前に見栄をきるようになる。
腕を回し、これでトドメと皆に伝わるようにした。
アントニオ猪木は、それを見た時(理解したな)と納得したと言う。

1989年。
昭和が終わる時、ソ連が新日本プロレスにやってくる。
大きな渦が出来上がる時、男はアントニオ猪木を介錯する。
だが座長はアントニオ猪木なのだ。
プロレス興行初の東京ドーム大会のメインはアントニオ猪木だった。

男はトーナメントで初戦敗退。
男に勝った、橋本真也は優勝戦まで登り詰めて ベイダーと名勝負を残す。
男はアントニオ猪木を介錯したのに。
何故だ。
男は興行を理解していたからだ。
初の東京ドーム大会だからこそ、未来を描こうとしたのだ。
新生UWFがムーブメントを起こしていたからこそ。
そして男はアントニオ猪木に「好きな事をしてください」と言った。
アントニオ猪木は政界を目指した。
男に託した。

男は、入場時に客に触れられるのを拒否した。
試合前の記者との馴れ合いを拒否した。
男は、何時でもイラついていた。
新日本Uターン時、狭い控室ではUWF勢とはパーテーションの仕切りだけで分けられていただけである。
UWF勢には控室に沢山の来客がくる。
それだけでイライラのMAXだった。
プロレスの取り組み・姿勢が違ったのだ。

今では当たり前のように、選手と触れ合える。
時代は変わった。
男も丸くなった。
優しいオジィちゃんになった。
だが、何処かにある地雷を踏めば男は怒り出す。
譲れない『境界線』がある。
それこそ男の誇りなのだろう。

プロレスは勝つ事だけじゃない。
負ける事ばかりじゃない。
すべては『プロレス』なのだから。
プロレスは『プロ格闘技』であり『興行』だ。
男はアマレスからプロレスに移ってきた。
だから『プロ』というモノに誇りを持った。
だからこそ、男はK-1やPRIDEを嫌った。
アントニオ猪木を理解するからこそだ。
正に磁石である。
プラスとプラス。
マイナスとマイナスなのだ。
そして、プラスとマイナスなのだ。

男が現場監督になってから複数座長を取る様になった。
ドーム・プロレス化を作った。
今の時代を作ったのだ。
良いも悪いも。
だからこそ、男は何も語らないのだ。

何故、ジャイアントは持ち上げられたのであろう。
何故、男はアントニオ猪木を介錯できたのであろう。
何故、アントニオ猪木は男に介錯されたのであろう。
何故、大事な東京ドーム大会で、橋本真也に敗北したのであろう。
そして何故、男は常にイラついていたのであろう。
それは男が『プロレスラー』だったからだろう。
二度目の引退時。
男は、家族の元に帰って行った。
『プロレス』は闘い続ける事。
生きる事。
男は、まだ闘い続けるのだろう。
人生との勝負。
これからだろう。

アントニオ猪木は一人だった。
最後まで一人だった。
何故だ。

ならば、長州力さん。
いや、長州力。
今でも、貴方は『プロレスラー』なはずだから。

アンドレ・ザ・ジャイアントをボディースラムした日本人レスラー。
アントニオ猪木と長州力。
すべては繋がってるのだ。


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