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過激なセンチメンタリズム。

青木真也選手の試合が終わった。

僕も、沢山のnoteを書いてきた。
それだけ感情移入されたのだ。
スイカ騒動から始まって、終わりまで。
壮大な『プロレス』だった。
皆、格闘技でしょう?っていうんですけど『プロレス』だった。
箕輪厚介さんが『自分の持っている怨念のような感情と時代が交錯するところを考えて試合前の煽り合いから作品としてつくり上げていく。これをプロレスではなく真剣勝負でやろうとするところが稀有だ。だからこそ青木真也の試合は勝敗の超えたものがある』と書いた。
だからこその『プロレス』だったのだ。
格闘技の舞台でするからこそだ。
プロレスって僕にとってはプロレスの試合をするからプロレスじゃないんですよ。
すべてをひっくるめて揺さぶられる事だ。
『情念』が見えるかどうかなのだ。
勝とうとしたから。
勝つと信じていたから。
選手もセコンドもファンも。
そこに『強さと闘い』があった。
巻き込むチカラ。
受け答えるチカラ。
与えるチカラ。
例えるなら、繋ぎ技でのボディスラム一発でも納得したいんですよ。
理屈のある試合が観たいんです。
そこでしたね。

喜怒哀楽あったんですよ。
怒りがあった。
だから、そこに哀愁あったんですよ。
響くものがあったんですよ。
皆、青木選手が負けたのに前を向いてるでしょう。
ファンの皆さんが。
そこまで『プロレス』です。
僕達に訴えかけるものがあったから。
人生、旨くいかないんですよ。
そういう事も含めて。
「プロレスはハッピーエンドで帰れる」
「格闘技はハッピーエンドで帰れない」
って桜庭選手戦の時、青木選手は言いました。
その通りです。
だが、青木選手が一番最初から最後まで『プロレス』されていたんですよ。
ハッピーエンドじゃないじゃないか。
そう言われると思います。
何故、ムスメシ選手がアオキロックで勝ったのか。
何故、試合が終わってから青木選手は笑顔だったのか。
何故、青木選手がムスメシ選手に「ありがとう」と言ったのか。
勝ったムスメシ選手が踊らされてる。
自分が負けて、相手を上げても存在は消えない。
寧ろ青木選手が上がった。
もう僕達は青木選手の掌なんですよ。
僕達も。
確信犯か偶然か。
偶然をも必然とするのがプロレスラーですから。
昨日は10月9日でした。
あの10・9です。
新日本プロレスvsUWFインターナショナルの全面戦争の時です。
あの時、高田さんはどんな気持ちで花道を歩いたのか。
明日は10・11です。
高田さんとヒクソン・グレイシーの試合の日です。
この時、高田さんはどんな気持ちで花道を歩いたのか。
どちらも高田さんの敗北。
受け入れたのか、受け止めたのか。
何故、僕達は今でも語られるんでしょうか。
思い出すんでしょうか。
新日本プロレスvsUWFインターナショナルの東京ドーム。
PRIDE・1。
PRIDE・4の東京ドーム。
沢山の試合があったのに。
覚えてるのはこの試合だけだ。
それはプロレスが『ジャンル』であり。

高田さんが『ブランド』だったからだ。

そして、そこから産まれた物語を高田さんは歩いて行った。
道を作ってね。
すべてにおいて高田延彦の『プロレス』だったのだ。
青木選手もそうでしょう。
勝っても負けても記憶にある。
記録以上に記憶です。
そういう事なんですよ。
猪木さんも最後は『観念』して試合していたんですよ。
新日本プロレスの駒として、ビッグマッチ要因になった。
メインイベンターじゃなくなった。
操られるままに意味ない試合もしたが、すべて自分のモノにしたんです。
意味のない試合も自分のモノにした。
残したんですよ。
それはどんな相手でも「遠慮なくこい!」って言われたから。
年寄り扱いすんなよって事。
自身を理解した上でね。
消費・消化されただけなら意味がない。
青木選手もそうなんです。
だから『飛び級』なんてないんですよこの世界は。

そしてONEのおける最終章に入った。
フォラヤン選手との物語。

ここまでおいて完璧な『プロレス』だ。
まだ、してやられてるのか。僕達は。
何をしても『表現』になる青木真也。
これからどうするのか見届けたい。
青木真也が『プロレス』なのだから。
プロレスが『青木真也』なのだから。
スポーツでもないジャンルの鬼っ子。
プロレス内プロレスからはみ出す。
踏み出す。
まさに『過激なプロレス』だ。
過激は時にはセンチメンタルにもさせるのだ。
『過激なセンチメンタリズム』
『アオキ、魂のゴング鳴れ!』
僕はまだまだ『青木真也』から。
『プロレス』から離れられそうにないのだ。
情念があるからこそ。
クソ真面目に見る人がいる。
『色』を最後まで見せつける。
だから青木真也は『レスラー』なのだ。


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