誰が上沼恵美子に怒られるかが読めない

ランジャタイの陰に隠れているが、真空ジェシカも、モグライダーも、ロングコートダディもあり得る。上沼恵美子怒られ枠の話だ。

M-1は格闘技のK-1を模して名前がつけられた大会だ。ただ1つの頂点を争う、お笑い芸人のアスリート性が強調されたショービジネス。これまでの賞レースよりも多くの人を惹きつけたのは、この「お笑いは遊びではなく競技」という側面を強調したことが大きかっただろう。

立川談志がスピードワゴンに辛口の評価をするなど、審査員の厳しさも”ガチ”感を見せつける象徴となってきた。現在の審査員の中で、なんといっても世間がこの”辛口”を注目しているのは上沼恵美子だ。凄まじい化粧をしたチャーミングな不世出の天才が、ハイテンポに歯に衣着せぬ物言いで、ネタを見せたばかりの芸人を批判する。その辛口の鮮度は凄まじい。なんでも出来てしまう天下一品のお笑い芸人は、審査員をやらせても視聴者を惹きつけるのだ。

一体、今年は上沼恵美子にどの芸人が斬られるのか。そんなことをお笑いファン達は、案外と楽しみにしている。決勝進出者発表の時にもそれが頭をよぎる人は少なくないだろう。「誰がえみちゃんに怒られるんだ!」ということを考えると、年の瀬の感が強まったようにさえ思う。

前提として、昨年の覇者であるマヂカルラブリーが「漫才か漫才じゃないか」論争を持ちネタに昇華させた影響は、お笑いファン達にとってかなり大きい。自分こそお笑いを分かっているとアピールするために「漫才とはね……」と語る人々の、自己顕示欲の薄ら寒さが世間に伝わりきったのだ。多少の奇抜なネタが出たところで、この論争は再燃しないだろう。ウンチクサブカルクソ寒人間と思われるために、わざわざ火中の栗を拾う人はいないのだ。

が、"多少"では済まない奇抜さを持っているのがランジャタイだ。だからこそ、ランジャタイ決勝進出は衝撃的なのだ。漫才論争がもう一度リピート放映される事態になり得る。謎の論争を年末の定番行事化してほしい人は誰もいないだろうが。マヂカルラブリーやランジャタイは飯のタネが増える結果になるのかもしれない。

私はランジャタイが好きだが、私がM-1のスタッフならランジャタイを決勝進出者には選ばない。それはランジャタイがつまらないからではなく、ランジャタイのネタに上沼恵美子が大爆笑して高得点を付ける絵が想像できないからだ。なんなら2017年マヂカルラブリーの時のように、とんでもない空気が全国中継される可能性を考えると、頭を抱えてしまう。

M-1はあくまでショービジネスだ。大会が白熱し、反響にスポンサー企業が満足する。それらを繰り返すというテレビというビジネスの一部には過ぎない。そこを考えると、ここ数年プッシュしてきた「芸人という生き様のドラマチックさ・ストイックさ」を重視した芸人を選ぶのが無難な選択だろう。もちろん、ドラマチックでストイックでネタがつまらないとなると、謎のお涙頂戴番組になってしまうので、バランスは大事だが。

「ランジャタイのようなタイプの芸人は準決勝までは行けるんだけどね……」ということを仄めかせればそれでいい。準決勝でウケすぎてしまった場合は、1枠だけそういう芸人を通せば十分。それが平和的な思想というものだろう。平和的なファンはそれで自分を納得させることができるのだから。ところが、今年はランジャタイだけではない。真空ジェシカとモグライダーとロングコートダディが決勝に進出した。暴力的な思想の革命家がスタッフにいるのだろう。

この4組に共通するのは、いわゆるスタンダードな漫才ではなく、明後日の方向からネタを展開していく不条理性を有しているということだ。よく表現の世界では天才と呼ばれる人が出るが、多くはこの不条理性を上手くコントロールしている人を指す。従うべき理性を捨てている姿に、凡人は憧れてしまうのだ。

とはいえ、憧れに至らない場合はあくまで不条理性のままである。不条理性は理屈と調和しない要素なので、興味がなければないほど「意味がわからない」としか受け止められないという弱点がある。視聴者の多くが「意味がわからない」と思ったとき、M-1という大会には視聴者のモヤモヤを解消する代弁者が必要だ。そして、その代弁者の筆頭が上沼恵美子だ。

さて、これまでのM-1を観察すると、どうも上沼恵美子怒られ枠は二種類ある。1つはギャロップのような、普遍的なネタを披露する職人タイプの芸人が、賞レースという特殊な舞台に嚙み合わない場合だ。賞レースの決勝というのは、どこか「驚かされたい」という期待を観客・視聴者が有してしまう。だからこそ、無難さが際立ってしまうと、審査員はそこを口にせざるを得なくなる。2018年のニューヨークのように、上手く返して場を支配することで、その後の売れ方に影響を及ぼすこともある。

これについては実は上沼恵美子だけではなく、他の審査員も同じ役目を担う。無難すぎて上手くいかなかった芸人については、今後の人生に向けてダメージをコントロールする必要がある。「もうひとつ展開が欲しかった」「少しまとまりすぎていた」――こういったことを審査員が言ったとき、多くの場合はそれに同意する視聴者がいる。そしてその視聴者たちは「自分の感じたことは間違いではなかったのか」と知ることで溜飲を下げる。後は芸人の力量次第で、「負けちゃったけど好感の持てる人たちだな」と思われることも可能だ。生放送の数分間で取り戻すのは大変なことだが、機会が無いよりはずっと良いだろう。

もう1つの怒られ枠が、不条理性をふんだんに詰め込んだネタについての怒られだ。上沼恵美子が”好みでない”と言うパターンだ。マヂカルラブリーだけが注目されがちだが、2018年M-1の「ジャルジャルのファンやけど、ネタは嫌いや」という発言もなかなかすごい。

不条理なネタというのは好みがハッキリ分かれる。「0点か100点か」という芸風は、突き詰めると0点だと思った人が必ず出るということになる。そういう視聴者のガス抜きは必要であり、審査員がそこを汲み取ることで芸人側のダメージは軽減されるだろう。つまり、これも実は芸人のダメージコントロールに繋がっているのだ。

多くの人がこの不条理性に伴う怒られ枠を予想しているが、該当しそうなコンビが上述したように4組いる。こういう年は、案外、無難なコンビが怒られ枠を勝ち取る可能性がある。しかし、予想しない角度からインディアンスやゆにばーすが怒られて落ち込んでしまう未来を想うと、何かやはり悲しい気持ちになる。とはいえ、不条理性の高い芸人が世間とのギャップに懊悩するのも、とても心が痛む。

ということで、個人的には不条理性を伴うネタでひたすら大暴れした芸人に怒られ枠を勝ち取っていただき、後々和やかに「あの時めちゃくちゃ怒られてたね」とネタにしてテレビでの露出が増えていくような、そんな世界線になってほしいと願ってやまない。

案外、という話で言えば、敗者復活戦からの怒られ枠というものもある。2019年の怒られ枠はまさかの和牛だった。敗者復活戦の結果は知名度も大きく影響するので、見取り図やニューヨークが進出する可能性が高いという見方が主だろう。テレビで出番を多く持っているスターが、フレッシュな芸人の出番の時に唐突に怒られるかもしれない。

こんなことを延々と考えている私を俯瞰すると、優勝三連単も盛り上がるが、上沼恵美子怒られ枠三連単もかなり盛り上がるのではなかろうかという気持ちに思い至る。敗者復活-ランジャタイ-インディアンスの怒られ枠大穴三連単で当日を待ちたい。

#コラム #お笑い #コタツ記事 #お笑いこたつ #M1

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?