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関空って、今も

去年の今日だった。
2002〜2003年のSARSと同程度であってほしいという願いはすでに虚しく、もう遠い場所の出来事ではなくなっていた。下船を許されないクルーズ船内で増えていく陽性者や感染者。報道されるあれこれから伝わってくるのは、誰もこの病気について知らないということだった。
それより少し前、私の住むあたりでは国内初の感染者が確認され、あっという間にマスクや消毒用アルコールが手に入らなくなっていた。
日本で、突然の都市封鎖が行われることはないだろう。それでも、行ったら戻ってこれないってこともあるかもしれない。2日後に控えていた沖縄行きを断念した。翌日、学校の一斉休校が発表された。

関空って、今もあるんだっけ?と時々思う。
毎月のように、約2時間かけて関西空港へ行っていた。台風で流された船が連絡橋を壊した時でさえ、予定が変更になることはなかった。
中国や韓国からの観光客と彼らの荷物で、座席も通路も埋まる南海電車の空港急行で関空に着くと、エスカレーターに乗るための列を作った。
空港ビル内のベンチで、キャリーバッグを開け、カメラとレンズとノートPCを取り出してリュックに入れ、着ていた薄手のダウンコートを押し込んだ。
LCCの窓口で荷物を預けて、手荷物検査場の手前にあるモスバーガーとミスタードーナツのコラボ店 MOSD!で、今から沖縄へ行くというのに、毎回ポンデリングの黒糖を買い通路のベンチに座って食べた。
手荷物検査場で、トレイの上に、リュックから取り出した水筒とカメラとノートPCとSIM無しの方のスマホとスマホのバッテリーを置いて進む。ショートブーツを脱ぐように言われて(那覇空港ではそんなことにしないのに)と思いながら、スリッパに履き替えて検査のゲートを通ったら、水筒の中身を確認される。戻ってきたショートブーツを履き、スキャンされた持ち物を少し離れた台の上でリュックに詰め直す。
搭乗口から少し離れているけれど様子はわかる場所に座って、本を読んだりスマホをいじりながら呼び出されるのを待った。いつも前方の通路側の席を予約していたので、ゆっくり乗り込めばよかった。2020年1月18日、沖縄行きの搭乗を待ちながら上の写真を撮った。あの時、当分ここに来れなくなる可能性を思っただろうか。まさか、こんなことを懐かしげに書くとは予想だにしていなかったはずだ。
ねぇ、関空って、今もあるんだっけ?MOSD!は?

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