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【落語好きの諸般の事情】#11 出囃子のバリエーション拡張化問題

先日NHKの朝ドラ『わろてんか』で、現在のアメリカ国歌『星条旗』の出囃子を聴いた時はたまげた。あの三味線方の師匠はラジオも無い時代、正式に国歌として採用される前のあのメロディーを、どんなルートで覚えたのだろう。
ドラマの話は置いといて、リアルな寄席の話。寄席の出囃子のバリエーションって、ひょっとしたらここ20年ぐらいのうちに倍ぐらい増えたのではないだろうか。調べたわけではないけど、覚えるお囃子さんもさぞかし大変だろうと思う。

1960年代頃までは、出囃子の原曲というと歌舞伎や長唄が相場で、若い頃の立川談志師が使った『あの町この町』のような童謡や、林家こん平師の『佐渡おけさ』のような民謡すら、当時は異質の部類だった。わりと近年まで、流行歌などの出囃子は「そんなチンドン屋みたいな曲は弾けない」と三味線方から嫌がられた、と何かで読んだこともある。

歌謡曲や外国民謡の出囃子に耳が馴染んだ嚆矢というと、三遊亭小遊三師の『ボタンとリボン』あたりだろうか。いや、古今亭志ん五師の『芸者ワルツ』だったかな。
そう思って1994年刊行の弘文出版「落語」32号の落語家名鑑で探してみたら、60年代後半に真打昇進した落語芸術協会の柳家金三師の『銀座の柳』なんてのが見つかった。『銀座の柳』は1932年に公開された同名映画の主題歌で、戦後まで長く親しまれた昭和歌謡。他にも先年芸協を退会された都家歌六師の『自転車ソング』というのもあったが、明治末期に作られたバイオリン演歌『ハイカラ節』のことかな。詳細不詳。
何にしても、さすがは新作の芸協、出囃子も革新的。この流れを受けてなら、小遊三師の『ボタンとリボン』も必然といえそうだ。その後、春風亭昇太師の『デイビークロケット』、桂米助師の『Take Me Out to the Ballgame(野球に連れてって)』と続くバリバリ洋楽の流れにもつながり、とても興味深い。

一方、落語協会のベテラン新作派の師匠連が使っている出囃子は、三遊亭円丈師『官女』柳家小ゑん師『ぎっちょんちょん』夢月亭清麿師『串本節』と意外にも守旧的なのだ。その後、円丈師の弟子・白鳥師が真打昇進後『白鳥の湖』を使い始めた頃から、以降若手の出囃子は歌謡曲から洋楽まで何でもありになった気がする。
また、白鳥師と同じ新作集団SWAで活動した柳家喬太郎師は、以前ウルトラマン関連のBGMを自身の会で使われたそうだ。さすがにこれは三味線方が知らないと弾けない。私は『まかしょ』にしか当たったことがなかったが、一度だけ師の持ち歌『東京ホテトル音頭』(自作『すみれ荘二〇一号』に出てくる曲で、CDにもなった)の出囃子を聴いたことがあった。実はそれが初めて喬太郎師の落語を聴いた日で、場内がなんでこの出囃子にウケているのか判らなかったのだけど。今はおかげさまでわかります。はい。


さて、ここから先は今回のオマケです。
過去に拙サイト「落語別館」の日記やブログで書いた、東京時代に足を運んだ寄席と落語会の観覧記。それにちらっと説明を加えてのリサイクル公開(一部本邦初公開もアリ)。第11回からしばらくは、十数年前の落語通いメモが続きます。

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