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アウトプットをしない言い訳とその解決

「アウトプットをしなさい」とよく言われる。アウトプットというと大袈裟に感じるが、要は思考で終わらず書くということをさす。書くことで自身がなにをしたいという整理がつく、というのがアウトプットを行うメリットである。

だがこのアウトプット作業はいまいちやる気の起きないものだ。ではなぜやる気が起きないのか、言い訳を改めてアウトプットしてみた。

評価がこわい

他人からの評価を恐れている。社会においては自分のアウトプットがなにかと評価される。これは社会人の成果物だけでなく、学生のテストや家事の出来栄えも含まれる。日々生活や仕事をし、アウトプットを出しそれが評価される毎日であるのに、加えて自らアウトプットしに行くことは、重ねて評価を受けると錯覚してしまう。その錯覚がひずんだ結果が承認欲求であり、アウトプットに対する過大な肯定を求めてしまう。

なにも変わらないと思っている

この行為に意味があるのかと思い、手を動かさない。評価されるために行わない、言い換えれば媒体に起こす必要がなく思考のみで完結でさせる。ぐるぐると思考をしていればそれが振り返りとなり、アウトプットと同等の行為を行ったと勘違いをしているケースだ。

どうすればアウトプットをできるのか?

まず認められるということを諦めることにする。このアウトプットは世間のためでなく、自分のために行う。
成果を求めないことを決める。社会人ほどやることに対してパフォーマンスや結果を求めるが、このアウトプットにはそれを求めない。金銭の発生はもちろん、不出来も問わない。ただひたすら積み上げるようにする。
その積み上げに対して振り返りの機会も設けない。積み上げた結果だけを眺め、次のアウトプットを行う。そうしてできたアウトプットの山を眺めることにする。この山を眺めた感想も求めない。

今はどうなるかわからないが、とりあえず始めてみよう。アウトプットをする気持ちがあれば時間の無駄ではないはず。

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