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『若さの海を愛するジィーさんの小物釣り通信』

〜夕陽が沈む浜辺におやじの後ろ姿を見る 昇龍丸出船 リタイアジィーの釣り道楽〜

都会のアスファルトジャングルを仕事で走り回っていたころ、ふっと空を見上げてみると何か自分を感じないような感覚が常にあった。今思うと頭に「若狭の里海里山里空」があったようだ。

◎誰でも生まれ育った故郷に原風景がある

いつのころからか、釣りに没頭しだしたのか。

振り返ってみると名古屋勤務時代、仕事のストレスで体調を崩し入院、退院してからの一時期、気分転換をかねて木曽三川の河口にハゼ釣りに行って頃からだと思う。名古屋港の防波堤、知多半島でのボート釣り、足を延ばして伊勢への筏釣りなど。

仕事で単身赴任した四国愛媛では御荘の筏、静岡浜名湖の堤防、東京湾の岸辺等で一人竿を出してきた。この年になっても釣り場ごとのシーンが鮮やかに残っている。

◎バイクに乗せられ親父と釣り場へ

坊主ばかりの三兄弟、次男坊の自分。

おやじのバイクの後ろに乗せられ三方五胡のひとつ久々子湖の湖畔に釣りに連れていかれた記憶がある。多分「ぼらっこ」を釣りに行っていたのだろう。

なぜ自分だけがおやじのバイクの後ろに乗せられ、釣り場へ行ったのかは定かではありません。釣りに熱中していたおやじの横で沈む夕陽を見ながら「早く帰ろうよ」と泣いていた記憶が少しあります。また帰り道、大衆食堂でいつもきつねうどんを食わしてもらったことが鮮明に残っています。うまかったなあ―うどんに油あげが少し浮かんでいるだけのものです。

冷えた体には最高のうどんだったのでしょう。

いつのころか、この原風景が現れたり消えたり

◎田舎に帰ろう!居場所があった

自分が仕事をリタイアする前、都会はどうも自分の居場所はない、田舎へ帰ろう。帰る場所はある、自然豊かな若狭の空気を吸いたい。できれば海に出たい。本能のようなものがありました。

船に乗ったこともない素人です。ハンドルの握り方、発着方法、ロープワーク等全くわかりません。船舶教習所での講習、実地等初めての体験です。よくぞ合格させてくれたと思います。とりあえず船長の免許をゲット。

若狭に帰り即、知り合いのマリーナにプレジャーボート購入の手配。そこで初めてのマイボートを手に入れました。中古船ですがエンジンだけは新品スズキの船外機100馬力が装着されました。

◎がんばれドラゴンズ「昇龍丸」と命名

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「昇龍丸」。 中日ドラゴンズファンだったこともあり、さらに干支がたつ年ということもあり命名しました。今年で14年目。

天気を見ながら小浜湾内のアジ、チヌ、キスなど小物釣りに専念していますが、たまには若狭湾の好ポイントそとも沖や浅グリ、タカテグリに出船。一度もトラブルがなくまだまださっそうと走る現役です。

知り合いの僚船船長との他愛ないやり取りの中でお互い情報交換しながら、安全安心航行を続けています。

◎釣れるまで待とうお魚さん 最高は80㎝の赤鯛

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これまでの最高の大物は80㎝の赤鯛、若狭湾のぬしを釣りあげた感覚でしたが、釣り餌屋のおやじに「交通事故にあったようなもの」と冷やかされたものです。

普段はアジ、タイ、チヌなどの小物がメイン、錨をドーンとうち天秤ふかせのエサ釣りです。何かというと「釣れるまでまとう、お魚さん」ですので大した釣果はありません。

よく何も釣れないのにじーと半日も一日もおれるね、と女房に馬鹿にされますが、釣り師ならわかるように頭の中は釣るための仕掛け、エサ、潮の動きなど思案でいっぱい。始まりから終わりまであっという間です。

◎若狭の海に素晴らしい四季を感じる 

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海に浮かぶ船の上で見上げる空、山の風景。春の山桜、新緑、秋の紅葉、冬の雪景色。季節ごと変わる若狭の四季を満喫しながらわが身を託す。最高の贅沢です。船上で「晴れ―た空 今日も元気で飯がうまい」とざれ歌を歌いながら楽しいひと時を満喫しています。

◎もうちょっと楽しみを 神頼みあるのみ

古希を迎え釣りもほどほどに、と思わないことはありませんが、何か楽しみがないと、幸いに身体頭とも自分なりに健在です。あと5年、75歳の後期高齢者入りまでは楽しみたいものです。

人生、大漁と行きたいところです。神さんにお願いするしかありません。




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