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私のtower of the sun

気付いたら蝉も鳴き始めていて、すっかり夏ですね。親子丼です。

昨日Spotifyを開いたら、あいみょんの甲子園球場弾き語りライブアルバムがリリースされていました。私、tower of the sunって曲で必ず号泣するんですけど、これはあいみょんがもがき苦しみながら歌手という夢を叶えるまでの話です。

これまで、大きな夢はなく、目標を目指してきた人生だった。夢って壮大だし、叶う確証もないのに明言するのはどうも子供っぽくて好きになれなかった。

私のかつての目標のひとつは、優等生。
さらに細分化すると、次のテストで何点取るとか、学級委員とか生徒会をするとかそんな感じ。前者は親から課せられていたので義務でもあり、後者は親や周りから認められたいという承認欲求だったように思う。

でも生徒会なんてものは親からしたらよく分からない存在で、そもそも選挙で当選しなければならないリスクが理解できないようだった。
なので、中1の頃「私、生徒会役員に立候補するから!」って家で言った時は、両親はぽかーんとしていた。

「変わった子だよね。どこの血筋なんだか…。好きならやったらいいけど、よく考えてからやりなよ」って母から言われた気がする。

そのまま立候補、なんとか当選、
小学校の学級委員時代から続く優等生への道はのびのびと伸びていった。

優等生ライフは「三方よし」だ。
周りから褒められて自己肯定感は上がるし、先生から褒められて親も保護者面談で鼻高々、友達も上部では結構尊敬してくれる。
This is 正解!みたいな感じで、間違いない。

「内申点、目指してるんでしょう?」ってそれとない目で見られることもあったけど、生徒会はそんな気持ちでやったら汚れ仕事もあるから痛い目を見るんだよな。

生徒の文句を意見箱で聞きながらそれを(私は不器用だったから)媚びへつらいながら上層部の先生と折衝して。オープンキャンパスって言えば聞こえはいいけど、他人の使ったスリッパや、廊下の角の埃を笑顔で挨拶しながらひざまづいて拭くんだぞ!(もちろん良いこともあります)

やっぱり物好きじゃないとできないと思う。
先輩も全員優秀だったけどみんな変わってたもの。笑

親が年中無休で働いてたせいで、私も学校は休んじゃいけないものだと錯覚して、熱が出ても血眼で布団から這い出て登校して叱られたり。

生徒総会(生徒の全校集会)前にふらふらになって保健室で寝てたら仲間の1人が「指示がないと何したらいいかわからない」って言ってきて、こっちは知恵熱で寝てんだよ!頭はどこ行った!って、カッとなってブチ切れそうになったり。

臆病だから人前に立つのは毎回怖くて、総会前の公民の時間に隣の席の友達から「ねぇ、手震えてるけど大丈夫?」って心配されてた。

頼る賢さを知らず1人で無駄に抱え込んで、それはそれは未熟で不器用にやっていたあの日々がもはや懐かしい。

周りからは全然泣かない、心の広い優等生って思われてたらしい。あわよくば羨ましがられたかったけど、それはなかった。涙
あと、何故か友達もいないって思われてた。笑
卒業前には「そういえば、親子丼って、親友いなさそうだよね。あ、校長先生?笑」とか言われてた。いや親友いるんで!大丈夫です!

勉強面でいうと絶対勝てない頭のいい子がいてテスト返却後はほぼ毎回親が帰る前にソファで悔し泣きをしていた。 

学習教育担当の父は点数がないから怒っていたけど、目標点数未達成の悔しさからまた泣いて、母からは「テストの点数だけでよくそんな泣けるね…」って呆れられていた。

理数科目はめっぽうダメで、テスト前は4時に起きて大嫌いな数学をして、それでも赤点スレスレで、中3の時「なんで基礎なのに解けないのかね〜」って先生に言われたから、「今までお世話になりました。教育費がもったいないので私は中卒で春から土建作業します」って言ったこともあった。酷すぎる。笑

ふたつめで、夢に近い、物書きという目標。
結構得意だと思ってた作文はいつまで経っても表彰されないで、家で「はぁ、世間って見る目ないなー。私のが絶対うまいから」って負け犬の遠吠えをしていたし、
幼い頃から書いても書いても、周りに自分よりうまい人はいて、大学の授業でうますぎる人に囲まれ絶望するという。笑

6年続けた文芸部ではおーいお茶のラベルにある俳句に毎年応募するのだが、それも一向に入選しないから、スーパーで買う度ラベルに文句言ってた。笑


夢というよりは過去の愚痴の話になりました。
おかげで、スッキリした気分です。

夢とか目標って生きる上で大事だけど、私には達成するまでにすごい辛いこともありました。物書きの目標なんか、バカにされたこともあるし。そもそも、まだ達成してないよね。
公言してどうなるの?と思うし、思い出したところでしんどいし、私の場合それだけでは食っていけないから、やっぱり夢は好きになれない。

でも、もうちょっとだけ、頑張ってみようかな。ってなることもあって。
だーいすきな三度の飯より夢中になれる瞬間は何度もあって。

私みたいな頑固な人間にはとても大事なような気もしています。

夢が生き甲斐になるのであれば大切にしたらいいし、なかったとしても、自分の心の奥底では、私は生きてるだけで充分だと思えたら、きっとそれはすごく幸せな人生なのかな、と、私は思います。


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