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食に対する考え方を肯定する

「親の時間」では、
年に2回1泊二日の合宿を
ニセコで行っていて、
わたしも毎回参加しています。

その集まりの内容は運動、散歩、温泉、
持ち寄った材料での食事作り等です。
もちろん、所々で話しや気持ちを
聞き合うこともします。

場所は参加者のひとりの別荘なので
気兼ねなくゆっくり過ごすことができます。

この集まりでは各々が係りを担います。
場を仕切るリーダー、遠方なので運転する人、
食事に関して采配する人、
場所を提供管理してくれる人などです。

私は決まって食事係りを任されます。
何故食事係なのか、リーダーに尋ねたら、
私の食に向き合う姿勢に
興味を持ったことが理由だとのこと。

私は食が細く、あまりたくさんの
量の食物を摂ることをしません。
そして食べ物と、食べ方に対して、
こだわりを強く持っています。

常に腹八分目を心掛け、
滅多に食べ過ぎることはありません。
頭の中で食べた分量を量り、
その場の食欲に任せることもしません。

そんな私が、合宿の時に食事の献立の決定、
調理を先導する仕事を任されたことに、
最初はひどく驚きました。

何故なら、私がずっと実践してきたことは
多くの人に批判されるに違いないと
思い込んでいたからです。
多分「親の時間」の仲間も同じ思いを
持つであろうと予想していました。

そもそも、私は幼い頃から
自分自身の食の考え方を認めらたことが
ほとんどありませんでした。。
母からは、食の細い私の身体を心配するあまり
「それだけしか食べないから丈夫になれない」
と言われ続けてきました。

食に対するこだわりは、
大人になってから始まったのですが、
「神経質」だの「ゲテモノ好き」だのと
酷評されてばかりでした。
そんな私が、「親の時間」の仲間と一緒に
実に楽しく食事をすることができました。
それはイコール私の食に対する考え方を
認められたことにもつながり、
私にとって大きな自信になりました。

食は生活の中に於いて
大きな影響を及ぼします。
この合宿で、みんなと食事を
共にすると同時に私自身が
自分の食に対する考えを肯定できたことは、
私にとってとても意味のあることでした。

この泊りがけの集まりが、
長い間人に話すことさえ
恥ずかしいと感じていた私の一部分が、
決して引け目を感じる必要がないことだと
判った有意義な機会になりました。

みゆ

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