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胡蝶の夢のいいところ

胡蝶の夢のいいところは、現実の不確かさを強く意識してしまうような精神状態に陥っている時にこそ、はっきりと感じることができる。

「この世界の全てが、本当は蝶である自身の作り出した妄想かも知れない。」などと、自分とそれを取り巻く何もかもを頼りなく思ってしまう精神状態がある。
そんな時に「ああ。今、自分はこのくらい弱っているんだな。」と、世界の希薄さを感じる度合で自分の沈み具合を把握するためのものさしとなる。
不確かなものを使っても、確信の拠り所は生まれるのだ。

しかもそれは、テレビや新聞のニュースで報道されているあれこれよりはよほど根拠のあることのように感じられる。
メディアの情報を個人が取込む際には大抵「本当はどこの誰がどうして言い出したものか」を確認する術もないまま、「自分自身では何一つ確かめることなく」鵜呑みにするしかないからだ。
他人の評価をいたずらに繋ぎ合わせて拵えた、評判システムに依存している現代に生きる人間には仕方のないことだ。

それに比べて、世界の希薄さと自分の弱り具合はいつも安定した確からしさを与えてくれる。
「ああ、またここに辿り着いてしまったのか。」
繰り返し訪れる既視感。
過去の主観、過去の不確かさと紐付けられる今回の不確かさ。不確かさの連結によって無から有が生まれるように、不確かさから確からしさの感覚が生まれてくる。色即是空。空即是色。人間が感じられる根拠の限界なんて所詮そんなものだ。

現実の生活では、物事を厳密に解釈しようとすると生活は何一つ進まない。
人間は不完全で、外界を精緻に知覚することも、知覚した情報を集約して正しく理解することもできないからだ。
寧ろその不完全さを以って、観測不能で変化の激しい世界に対話的に適応している。普段は曖昧で不確かなものを信じることでフレーム問題を回避する。もし浅い計算で現実とのズレが生じてしまって誰かの人生が終わってしまったとしても、別の誰かの人生が進むのだ。全体としては何も問題がない。合理的な戦略だ。

確かなものは存在しない。
この世界を瞬時に観測し尽くすことはできず、変化しないものはないからだ。世界の全てを観測しようと思っても、それを成し遂げる前に、世界は変化していってしまう。

もしある瞬間の宇宙のスナップショットをいくつか観測できたら、それらを比較することで「宇宙の過去からの全ての変化」を解析することができ、法則を明らかにすることで未来を予測できるかも知れない(遠い未来には)、と思ったことがある。
でも次の瞬間、今までの宇宙と何の一貫性もなく、連続性もなく、突如として原型を留めないほどに変化してしまわない保証はどこにもないのだ。
自分が対象を正しく観測できているというなどと言う認識は結局のところ、信念に近いと思う。

確かなものは存在しない。
断言とは信念であり、コミュニケーションスタイルの一つであり、処世術である。
胡蝶の夢のいいところは、傲慢な人間の自己中心的な「断言」と言う欺瞞に対して、気付くヒントを与えてくれること。

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