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友野一希・世界一楽しそうなエンターテイナーが孤高のアーティストと化した日

友野一希というフィギュアスケーターをご存知ですか。

というnoteを今年の3月に書いた。
(ありがたいことにたくさんの人に読んでいただきました)

これを書いた直後の世界選手権で、友野一希は自己ベストを更新する演技で6位に入賞した。

そのときわたしは会場にいた。
演技のクライマックス、一気に加速しながらリンクを端から端まで使って踊る"コレオシークエンス"で、世界中から集まったおよそ2万人の観客が一斉に手拍子を始めた。

度肝を抜かれた。さいたまスーパーアリーナが揺れていた。比喩ではなく、本当に手拍子で揺れていたのだ。

フィニッシュポーズとともに弾かれるように客席から立ち上がる2万人。ヒューヒューと指笛を鳴らす海外からの観客もたくさんいた。さいたまスーパーアリーナを埋め尽くす、真っ赤な「TOMONO」タオルと日本国旗。

演技の前半に4回転ジャンプで転倒したことなど、誰もが忘れていた。
あぁ、楽しかった。観にきてよかった。フィギュアスケートって最高だな。そんな感情だけが強く残っていた。
(ちなみにわたしはこの演技に感化されてスケートを始め、3ヶ月後には靴まで買うことになる)

彼は世界一楽しそうなスケーターであり、日本が誇る氷上のエンターテイナーである。

と、昨シーズンまでは思っていたのだ。

シーズンを終えた彼は「今までとは違った、圧倒して黙らせるようなプログラムをやってみたい。シーンと静まり返るような」「最後のスピンから拍手が鳴り止まないような」と語った。

それを聞いてわたしが最初に思い浮かべたのが、羽生結弦の「バラード1番」。


五輪で2度目の金メダルを獲ったときのショートプログラムだ。この演技をリアルタイムで観ていたひとも多いだろう。
「スケートで黙らせる」とはまさにこのことで、一番好きな羽生結弦のプログラムを聞かれたときに友野一希はこの「バラード1番」を挙げていた。

率直に言うと、リンクを爆速で駆け抜けながら笑顔を振りまく「友野一希」のパブリックイメージとは正反対のテイストである。
だが今年で25歳。フィギュアスケート選手としてベテランの域にさしかかり、得意とするテイストもキャラクターも固まって自らの強みと向き合ったからこそ、あえて苦手なことを取り入れたプログラムに挑戦すると決めたらしい。

今の自分に必要なのは、勢いのままにやることじゃなく、細部までコントロールされた演技。
(中略)
今まで目をつぶっていた弱点がはっきり表に出る難しいプログラムにすることで、嫌でも自分の苦手と向き合うことになる。そうすると何が何でも克服してやろうと頑張るじゃないですか。だって僕には自分自身を少しでもよくしたいっていうプライドがあるから。

友野一希連載【 #トモノのモノ語り。】vol.23「2023-24シーズン開幕インタビュー」<フィギュアスケート男子>

こう語る彼の、今季のフリーの楽曲は「Halston」。
静かな静かなピアノの旋律のなかに、微かに鳥の声や風音のようなものも聞こえる、息を呑むような4分間。
「この曲を通して成長したいからとびきり難しいものにしてくれ」と振付師であるミーシャ・ジーに伝えたそうだ。

おそらく彼の代名詞である爆走コレオシークエンスも、手拍子で会場を巻き込むような軽快なステップ(世界一の得点がついたこともある)も封印して、「ミスはあったけど 忘れちゃうくらい楽しかった!」から脱却して、研ぎ澄まされたスケーティングで観ているひとを圧倒する「誰が見ても完璧なトップスケーター」になろうとしているのかな、といちファンは勝手に想像した。

その瞬間は思ったよりも早くやってきた。
2023年12月23日、全日本フィギュアスケート選手権大会 男子のフリープログラム。
最終グループの第一滑走で友野一希が登場した。

大歓声が止んで苦しいほどの静寂の中、彼はスタート位置についた。

まるで全身でピアノを奏でているようだった。すべての音をひとつひとつ丁寧に拾って、からだの動きに落とし込んでいる。
同じ主題が繰り返されるシンプルな楽曲が、彼のスケートによって色づけられていく。
彼がピアノに合わせてスケートをしているのか、ピアノが彼のスケートに合わせているのか、もうわからなかった。

静かなピアノの音とエッジが氷を削っていく風のような音、ジャンプのときの獣が枯葉を踏むような音。あの4分間だけは、たしかに氷上が深い森になっていた。代名詞の爆走コレオシークエンスは封印したわけではなかった。いつものように爆発的なエネルギーを伴ったものではなく、静かに熱を帯びたものとして、だけどものすごいスピードでたしかに存在していた。

最後のスピンに入るころ、フィニッシュを待ちきれない観客席から雨音のような拍手が降り注いだ。鳴り止まない。それどころか、どんどん大きくなってゆく。わたしも夢中で拍手を送った。ありがとう、と心の中で何度も伝えた。涙が止まらなかった。
長い長い拍手と歓声のなか、彼はゆっくりとフィニッシュポーズをとり、天を仰いでから噛み締めるようにお辞儀をした。会場はその日一番の盛り上がりを見せているのに、ガッツポーズもトレードマークの笑顔すらもなく、氷を降りるまで音楽の世界から戻ってくることはなかった。

ジュニアの頃から「浪速のエンターテイナー」という二つ名で親しまれていた彼は、実は孤高のアーティストでもあったのだ。

彼はこの演技でフリースケーティングの自己ベストを更新し(ISU非公認大会のため参考記録)、昨年の全日本選手権で記録した総合得点を20点以上上回った。
シーズンが始まる前に「自分はこれが苦手。だからあえて苦手なことに挑戦したい」と言葉にして、それを実行し、ひとつの作品に昇華させてしまう強さ。これだけたくさんの人を引き込む求心力。
彼は屈指のアスリートであり、エンターテイナーであり、アーティストだった。

終わった時、最後のスピンだったり、自分が受けたことのないような初めての種類の歓声と拍手を受けた。自分が目指していたタイプの、なんて言うんでしょうね。静けさの中から(拍手や歓声が)わき起こるような、そんなプログラムができたので、とても幸せでした。

友野一希「こんな感覚の試合は初めてでとても幸せ」全日本フィギュア─毎日新聞

あえて苦手な部分を詰め込んだプログラムに挑み、苦手を克服するどころか代表作にまでしてしまった今シーズン。
きっとこれからどんなジャンルの音楽だって代表作にして、わたしたちを楽しませてくれる。そしていつか表彰台の真ん中でメダルをかけて、誰よりも弾けるような笑顔を見せてくれる。
そんな未来が、もうすぐそこまで来ている気がした。

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