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大きく高い壁をぶち破った男の話

近代能楽集より「葵上」「弱法師」
原作:三島由紀夫 演出:宮田慶子
主演:神宮寺勇太

​2021年11月9日(火) 東京グローブ座

静と動 と、性(せい)と嬲(どう)。

ざっくり、本当にざっくりとだけど、
自分のなかでこの作品に見えたイメージ。
あのアイドルが、あのKing & Princeの神宮寺勇太が、なんと初の座長公演、しかも初のストレートプレイをやるという発表があったのが2021年9月のこと。しかも作品はクセモノと言われることが多かったが実はピュアな男だったらしい三島由紀夫解釈による近代能楽集から2作をやると、、つまり2役を1つの舞台でやるというのだ。ミュージカルしか経験のないアイドルにはありえん話に各方面がざわついた。


三島特有の「文学美」という魅力のひとつを視覚でも魅せてくれた作品を、King & Prince神宮寺勇太が演るというニュースが、9月に入って飛び込んできた。ずっと演劇の舞台に立つべきだと願っていたけれど、この作品からのオファーはまさかの出来事だった。きっと本人も同じ気持ちだっただろうな、と想像したり。

三島は、、そこまで詳しいわけでもないけど、まあ人並みには、といった具合。
それでも抜擢された神宮寺さんの心中をつい察してしまうくらいには、近代能楽集という、源氏物語を三島の解釈によって"現代"に蘇らせるという作品のややこしさはわかるつもり。

なんせその"現代"はもはや50年以上も昔のことであって、まず言葉の色を把握しなくてはならなかっただろうと思う。言ってしまえば、1000年前の源氏物語を演じたほうがまだ演じやすかったんじゃないか、これは大変な作品と出逢ってしまったと思った。

それでも。
それでもやる男が、神宮寺勇太。

ただ、彼にめちゃくちゃ惹かれはじめてから今までに見たことのない不安に押しつぶされそうになっているのが、目に見えてわかるほどで、そんな経験、きっと初めてなのかもしれないと

人間が、
静かに心蝕まれてゆく愚かな様。
欲に勝てず突き動かされる怠惰の様。
哀れなほど性に溺れる様。
人間を蔑み困惑させることで悦びを得る様。

「葵上 若林光」と「弱法師 俊徳 」ふたりの男を取り巻く背景が、まったく違うはずなのにどこか繋がって感じたのは、とうとう気が触れてしまった人間の末路。のようなもの。それをふたりの男に見たからだろうか。まだ結論が出ないままだし、結論など到底でないだろう。
恐ろしく気持ちがわるく、虫唾が走った。

そこにいたのは、いつもはキラキラした世界の中央で美しい立ち姿を魅せているはずの男だったことも相まって。

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【1幕 葵上】
台詞の流れが看護婦と六条を軸に進んでいく。看護師役を演じた佐藤みゆきが最高にいいスパイス。看護師役と知ったのは観劇後だったが、今作の出演者が発表されたとき、好きな舞台や映像作品にことごとく出演している彼女の名前を見つけてそっと喜んだのを思い出す。

凄腕の役者を揃えて初めて外部のストレートを用意した演出・製作陣の本気が伝わるその中で、台詞を聴き状況を把握しながら光の表情、反応、所作といった一挙一動一挙手一投足を伺いつつ物語を共有することが叶う。
妻を見舞う若き善き夫であるはずの姿はあからさまに冷たく、世間が羨む美貌と名声を手に入れ自信に満ち溢れた男を実に嫌味な匂いを放ちながら好演していた。

徐々に翻弄されて六条に吸い寄せられてく姿は娯楽以外の舞台に慣れない観客にも実にわかり易く伝わるよう、丁寧かつ簡潔に表されていた。

六条さん、
康子さん、
君。

少しずつ段階を踏んで、じっくり、じんわり。真綿で首を絞められるように、気づかないうちに。
光の六条を呼ぶ名前の変化でその形を表現しているのが個人的にとても琴線をくすぐられた。

葵の小さくうめく声で我にかえるまで
初めから葵のことは愛していない光がここまで六条との過去を、若気の至りとして消したがっているのは何故か。病気がちな妻を献身的に支える夫というステイタスに酔っているのか、実は葵をほんとうは愛しているのか。

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【2幕 弱法師】
ヒリヒリ

狂気的な長台詞に神宮寺勇太を忘れた瞬間があった。憑依型ではないはずなのに、まるでそれは俊徳に操られているような。これが彼の"役を食べた"結果なのだろうか。本当に恐ろしかった。


好きなアーティストにセシリーブラウンという人がいる。俊徳に感じた心がささくれだっている感じは、セシリーの描く難破船の世界観を彷彿とさせた。俊徳は完全に自分を、そして周りをも見失った自暴自棄の孤独な難破船だった。

俊徳は、結局生涯独りなのだ。
そのことに気づかず哀れにも勝ち誇ったように生きていくのか、それとも、気づいているからこそ掻き消すように人を罵倒し続けながら生きることを選択したのか。それは誰にもわからないままなのかもしれない。

俊徳は今後、誰かを愛せる日がくるのだろうか。
なにを以って愛せていると言えるんだろうね。

弱法師の3ページに渡ったと言われるあの長台詞。観る前は、不安を掻き消すように呪文を唱えるように毎日毎日吐き出し続けているのだろうかと考えては、こちらも胸騒ぎが止まらなかったが、目の当たりにし終えた今、その胸騒ぎはまったく違うものに形を変え、狂ったように、本当に俊徳に蝕まれてしまったように、彼を溶解してしまったように髪を振り乱しながら言葉を発する神宮寺勇太を、怖いと思った。すごく怖かった。
桜間が恐れもせず目にした沈む夕陽を俊徳に説明して

あの感情を出せたのは、10代から彼が立ってきた舞台の多くにあった大きなテーマ、ジャニーさんからずっと教わってきた戦争の惨さが身体に染み付いているのも大きかったのかなと考えたり。

六条と桜間を演じられた中山美穂さんにも、発表時の不安そうな言葉はどこかへ消えていて頼もしさすら感じた。もしかすると、彼の「美穂さんに支えてもらって今を迎えている」この言葉にあるような、真正面からの信頼を受け止めるためにも、本能的に強い気持ちを持てたのではないかと感じた。

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2作品にこの感情を覚えたのは、すべて演じた神宮寺勇太の姿によるもの。彼の立ち居振る舞いと芝居は、作品にあらゆる感情をもたらす。演じるにあたり、作者を知ることが重要なように思うものだが、実際この作品は能楽。三島など知らなくてもいい。三島に引っ張られてはならない。

活字や台詞の言い回しを、素直に吸収し、膨らませ、放出した神宮寺勇太の勝ちだと思った。

表現が相応しいか自信がないが、もしかすると彼は、ついに人間がポテンシャルの域を越えた瞬間を見せてくれた第一人者かもしれない。
あれだけの才能を「ポテンシャル」のひとことで片付けてしまうのは彼にとても失礼だと感じたし、「ポテンシャル」程度のものとも思えなかったから。決して彼のポテンシャルが低いと言っているのではない。明らかに、確実になにかを突破したんだと思う。この作品を演ることによって。
本人も言っているように、たしかに憑依型ではない。考えて考えてアウトプットする人だと思う。それでも相当あの役はキツかったはず。

直感のセンス
三島が故意的に使う本来の日本語の美しさ
美徳


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わたしの知る限りで中山さんは、おっとりとしていて我が我がとしゃしゃりでるようなタイプではなく、付いてきなさいというような姉御肌でもない。芝居もそこまで多く経験していない分、本当に大変だったと思う。そこを、まっすぐ作品に挑む神宮寺勇太の姿勢が、彼女は彼女で支えられていたのではないかと感じた。

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本当にありがたいことに、彼の芝居を観る機会は、ファンになってからまだ逃していない。自分でも幸運だと思う。
そんな幸運な機会のたびに思うのは
"元々ジャニーズ好きではなくてよかった"
ということ。

これまで多種多様のエンターテイメントに触れてきた自負がある。
自分で言うのも烏滸がましいが、"見る目"は持っているほうだと思う。

などと大口を叩いておきながら、何故かプライベートになると男の本質を見る目がないのがただただ残念なことである。(ここは笑うところです)

まあそれは今度またの機会に話すとして(えっ)ジャニーズを観てこなかったことが、今となっては唯一これまでに欠けていたことだったのかなと気づいてしまって。
めちゃくちゃに悔しかった、めちゃくちゃに。
もっと彼らの作品を観ておきたかったなあ。
ジャニー喜多川プロデュース作品を観ておくべきだった。

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観劇できた人の感想でよく目にする「命がすり減ってしまいそう」「命を削った演技」というもの。なぜかあまりそう思わなかったのが今回の不思議。それ以上に彼がこの作品をやり遂げたあとに得るものの大きさが明白だからだろうか。

ただ今回、神宮寺勇太さんにひとつお詫びしなくてはならないのです。
船に揺られている(テイの)シーンのちょっぴりおどけてみせる光や、喉がちぎれそうなくらいのがなるシーンで、いつもグループでいる時のリミッターが外れた神宮寺勇太さんとリンクさせてしまったことを。【ZIP×恋降る】の際Twitterにあがった最終日の動画が一瞬、脳裏を霞めたことを。


とはいえ現在の自分が置かれている環境と、キャパシティによる倍率で入手困難な状況を考えると、当初今回は諦めていたので、
「あなたにはこの舞台をみてほしい、みるべき」
そう背中を押してくれるひとが何人もいてくれたのは本当にありがたかった。
見切れ席の追加発売のタイミングでやっぱりどうしてもこの目で確かめたくなり、運良く席を取ることができた。そのたった1回でも目の当たりにできたのも、背中を押してくれたあなたのおかげです。どうもありがとう。感謝しています。

演者の最小限に抑えていることが、三島作品では吉となるものが多いのと同時に、「コロナ禍」という現代を象徴しているように感じられるところもまた、皮肉なほどマッチしてしまったなと少しまた、捻じ曲がった感想が浮かぶ自分に失笑しつつ、いつかまた、再演というかたちで年齢と経験を重ねた姿でお目にかかれるもよし、今回限りとなる伝説の舞台になるもよし、そんな想いをこっそり抱えながら家路についた。

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