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やさしいひと

 

私には推しメンがいた。

それはそれは大きな存在だった。

20歳になる前日の2019年11月30日に、NMB48を卒業した。


AKB48グループの恒例行事である、成人式に出席できないからという理由で、ファンのためを思って卒業コンサートで作ってもらう卒業ドレス(これは誰でも作ってもらえるわけではない)には、振り袖を選び、一人の人間としての成長をお祝いさせてくれた。



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そんな、とてもやさしいアイドルだった。



私にとってアイドルを応援することは、朝起きて歯磨きをするように、吸った息を吐くように、ごくごく当たり前な日常生活の一部だったので、もちろん今まで数えきれないほどの握手会に参加した。

初めて推しメンと握手をしたのは約7年前。

当時中学1年生とかのアイドル(145~150センチくらい)に「身長何センチになりたいですか?」と質問したら「159センチになりたいです!」と無邪気に言われたことを覚えている。そして私は、かわいいの暴力にボコボコにされて、次のループができる程度に心臓が落ち着くまでに5分を要した。(この頃は「かわいい」と言っても「そんなことない」と認めてくれなかった)

また別の日には「え?女子高生3人の後に?え?」と年齢を弄られ、その日から知り合い以外の若い女の子の後ろには並ばないと決めて握手会のループをし続けたりもした。

初めて25分くらいの長い握手をした時には「25分手を繋ぎましょう」とルンルンで伝えたところ「絶対に、ない!」と断言されたりもした。この日お話ししてくれた中で「私はいつ死んでもいいと思ってる。私が死んでも誰も悲しまないよ。お母さんも。」というのを言っていた。15歳でめちゃめちゃかわいくて健康でお肌がすべすべな、神様に愛されているんだろうな~と思っていた推しメンに、そんなことを言わせてしまったのは自分なのに、私は、この人とは仲良くなれそうにないな~と思ったのと同時に、その気持ちが痛いほどわかる自分が嫌で「私が死んでも誰も悲しまない」なんて、そんな悲しいこと二度と思わせてやるもんか!という気持ちで応援をしてきた。

と、今振り返るとそう思う。




幼いころの推しメンは、話し方の抑揚が少し変で、思ったことや感じたことを大多数の人に伝えることが本当に不得手だった。公演MCでの発言や同期のメンバーのSNSを介して「毒舌」と言われることも多かった。(2015年10月の公演MCで「私のことをかわいいという人は、全員ゴリラ!」と迷言を発したのをバラされたこともある。私はたいへん面白かった。)本人のTwitterもなぜか炎上しやすかったと何かに書いているのを読んだことがある。


2016年1月に、こんな投稿があった。

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この辺りから、はっきりと今の推しメンの人間的な部分が形成されてきたように思う。(ちなみに最終的には「操縦士変わってない、ずっと私!」と過去の自分を認める発言をしていたのもよかった。)



本人はずっと自分のことが好きになれなくて悩んできたようだけど、だんだんとアイドルとしての人気が出て、握手会に来てくれるファンの人も増えて、色んな人と握手する中でそれぞれの考えや感性に触れることで ¨自分のことを好きだと言ってくれる人がいる¨ と体感できたことは、きっと本人の自信に繋がったんじゃないだろうか。



推しメンの卒業記念フォトエッセイ『青』にも、「自分の95%はファンの人の思いでできている」という項がある。


一部抜粋すると

 ¨私自身は、自分のことを今もあんまり好きになれなくて、自信がなくて、好き度でいうと5%くらいです。空気が読めないし、めっちゃ暗いし、人のことを笑わせられないし。たまに笑ってもらえることもあるんですけど、笑わせようと思ったところでは笑ってもらえなくて。だから、残りの95%はファンの方が補ってくださっていると感じています。¨


と書かれていて、これは「かわいいね」という好意的な主観を受け入れてもらえなかったゴリラで、気持ち悪がられて握手をしてもらえなかったり、「ゴキブリと芋虫と私やったらどれ派?」とプライドの欠片もない質問をして「それは難しい選択」と言葉を濁された私(おやめなさい)には、目を疑うほどの事実かと思うじゃないですか。でもそうじゃない。


これは私の体感として、推しメンは私のことを本当に嫌いなわけじゃない。と、自惚れられる程度の信頼関係があったと、自惚れておくとする。


握手会でも素直な気持ちを教えてくれることがあったように思うし、晩年のモバイルメールや雑誌のインタビューに本人の語った言葉として、ファンの気持ちを肯定して、自分の中に価値のあるものとして受け入れてくれていることが分かっていたので、驚きとかはなく、ただただ嬉しくありがたい気持ちだった。





私の思う、推しメンの素敵なところに、思っていないことを言わない。(嘘をつかない)というのがある。


アイドルみんながそうではないが、基本的にアイドルは人に好きと思われたもん勝ち!みたいなところがある。だからアイドルのみんなはファンの人に「好き」と伝えてくれる・伝えられる側の人間が圧倒的に有利だ。でも、推しメンはそれができない側の人間だった。


これは、かれこれ7年以上、アイドルとして活躍する姿をずっと見てきた私(記憶力はおばあちゃんのそれ)が声を大にして言いたいことでもある。


それこそ組閣してチームNになるまでの頃は、私は推しメンに嫌われているに違いないと信じていた(かわいそう)。推しメンは気持ちを伝えるのが不得手だったし、私は握手会が不得手だった。手紙を書いても読んでいる素振りを見せなかったし、ファンの人に感謝はすれども、特別に思っているとか支えられているとか、好意的な発言を受けた記憶がなかった。どんな風に応援するのが正解なのか分からなくて落ち込むこともしばしばあった。


私がうじうじと考えごとをしている間にも、なりたい自分になる努力ができる天才屋さんは、アイドルとしてのお仕事に懸命に取り組み、新しいファンをたくさん味方につけて大きくなっていった。


本人は「新しいファンの人が増えると違う子のところに行ってしまう人も多かった」と気にしていたようであるけど、不思議なことに一生懸命応援してくれるファンの人は、推しメンの ¨やりたいようにやればいい¨ と肯定してくれる人(通称:肯定人間🐧と呼んでいる)が多かったように思うし、それは推しメンが一番ファンに求めていることだったんじゃないか?とも思う。



渋谷凪咲ちゃんが話してくれたと、雑誌『Spoon.』に載っていたように「夢莉ちゃんの周りに良い人が集まるのは夢莉ちゃんがいい人だからだよ」この言葉に尽きる。推しメンが自分がしてもらって嬉しいことを人にできたり、その人の背景を想像できるやさしさを持っているからこそ、そんなファンが増えたんじゃないかと思う。


そんな信頼できるファンが増えたことで、ファンの人に対しての好意を伝えようとか届けようとしてくれたことが、私は嬉しくてしかたなかった。絶対に忘れたくないことが沢山ありすぎて、結構忘れてしまっていることがある気がしている。これはまさに!幸せの飽和状態や~!!!(急に彦摩呂になる人)




そんなこんなで、推しメンに嫌われていないと自惚れられるようになった私が、後世に残しておきたいことを引用する。


2017年のアリーナツアーで私が感じた推しメンの好意

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劇場でのソロ公演で感じた好意

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初めてファンの人に半ば強引に伝えさせられた好意

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卒業発表(2019.9.4)をする前に、自分の言葉で真っ直ぐに伝えてくれた好意

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まとめ

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(おまけ)

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こんな風にファンを大切にできるようになるなんて、アイドルになったころは思ってなかっただろうし、私も応援し始めたころから長らくはこんなハッピーエンドに見舞われるとは夢にも思わなかった。アイドル人生でたった3回のファンに向けての「好き」を、全部現地で賜ることができたことは自分で自分を褒めてあげたい。




フォトエッセイ『青』の「休業しなかったら、多分もう死んでたと思う」の項を一部抜粋する。


¨休業中は何度も消えたいと思いました。休業中に限らず、これまで生きてきたなかで、消えたいと思ったこと、何度もあります。抹殺ボタンで抹殺されたいみたいな。こう、姿形なく消え去りたいって、誰の頭からも消えてしまいたいって。 でも、もし本当に死んでしまったら、親を悲しませるし、応援してくださっている方にも申し訳ないし、人に迷惑をかけることは絶対に間違いないと思って、それはダメだなって思いました。¨



心の中の柔らかいところを、たったの1,500円(+税)で覗かせてくれるほど強くて脆くて、ついつい抱きしめたくなるけど、絶対に嫌がってくれる。そんな不安定な安心感がある人間にいつの間にか成っていた。




私の推しメン、太田夢莉ちゃんは7年9か月のアイドル人生を全力で生きて、自分の好き度が5%になって、後の95%はファンの方が補ってくれていると言い、自分が消えていなくなったらお母さんが悲しむことにきちんと気がつけて、夢だったソロコンサートも卒業コンサートもNMB48のシングルセンターも全て叶えて、仲間を大切にできる人間になって、自分らしく生きていくことを決意して、自分もファンも納得できると考えた20歳の誕生日を迎える前日にアイドルを卒業できる、やさしくてかっこいい人間だった。




アイドルでない人のファンをしたことがないので、これからどう生きていけばいいのか分からなくなって、老後や孤独死について悶々と考えていたけど、これを書いてみて、私の人生にたまたま太田夢莉ちゃんというアイドルが存在しただけなんだよな~と思うことができた。何か好きなものが人生に存在してくれているだけで、大抵のことはがんばれていたんだと気が付いた。

7年9か月もの間、白昼夢を見させてもらって、楽しませてもらったことを感謝すればいい。それだけのことだったらしい。





ゆうりちゃんは何度か私に「私が推しメンなのは、誇り?恥ずかしくない?」と聞いてくれたことがある。もちろんと答えた。

私はアイドルオタクで知り合った友人たちに「夢莉ちゃんを推すために今までがあったんじゃない?」とか「夢莉ちゃんとの関係が好き」とか言ってもらえることがあって、推しメンのことが好きな自分が好きだった。自分のことを好きだと思えたのは、生まれてはじめてに近い感覚だった。

そんな感じの、誇りです。どこに出しても恥ずかしくない素敵な人間だとずっとずっと思っている。




アイドルを応援していると、なぜだかすごく近くで一緒に生きているような気がしていた。今年はまだ「お誕生日おめでとう」すら直接伝えられていなくて、これからもきっと伝えたいと思うことはたくさんあっても伝えられることは限られている。この空虚感に慣れるには、もう少し時間が必要だと思う。




でもまあ、あれです。

会えなくても人生はつづくらしい。切なくてもなぜだか毎日、ごはんを食べている。


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なんでこんなにずっと好きなんだろう?

やっぱり顔かな〜




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