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隠れおこりんぼう人間の逆襲

なにかを成したいなら、こういう考え方もある。

それは「世の中の理不尽を許すな、どんどん怒れ!そしてそのエネルギーを創造へ向けろ!」…というお話。


何を表に出し、出さないか

こういう人は男女問わずけっこういるのではないかと思うけれど。

わたしは、まろやかな見た目で、話し方も雰囲気もおっとりしていて、トラブルがあっても「おー?そうきちゃうー?」という感じで飄々(ひょうひょう)としているので、自由に生きてていいよね、とか、苦労なんて何もしてこなかった感じだよね。なんて言われることがある。

さらには、会社を辞めフィンランドに来て大学で学んで起業なんてして、一見ふわーっと国際規模で活動して、「人の役に立ちたいんです」なんてニコニコで言っているので、

見る人にはこう…なんか社会起業家の流行りに乗っている、ミーハーで世間知らずの「キラキラ意識高い系女子」みたいに見えるんだろうなあと。

実際日本で友達にバーなんかに連れて行ってもらうと、最初はニヤニヤしながら話しかけて来た人が、わたしが「海外で起業してます」と言ったとたんに不機嫌になるなんてことは何度もある。

色々な場で「どうか見た目通りのエロ系スィーツ女子であってくれ」みたいな視線や、「へー、なんか好き勝手できていいよね」であったり、「自分だってもうちょっと若くて海外行けたらそんなことできたし」といった敵対心みたいなものを向けられることもある。

わたしがもしこんな感じでなかったら、相手の反応も違ったんだろうけど。


だがすまない。

相手がこの見た目から予想するような甘~い中身を、わたしはまったく持っていない。むしろ、かなり強い攻撃的衝動を持った人物だと思っている。

そしてわたしは後には退かない。


このnoteでは常々、多様な個人を「女子だから」「男性だから」「○○系だから」とかいうカテゴリーに当てはめて差別することこそを、考えのない痴呆な行為と批判させてもらっているけれど、

流行だからとかカッコイイからというだけの動機で、リスクを背負いながら何年も孤独に努力を積み重ねられる人なんていない。

一見ふわっゆるっとしている女性・男性でも、何かを続けている人というのは強い意志があるのであって、外野が勝手に「こういう甘えた人間に違いない」と判断をして、ひとりでいらついたり嘲笑しているだけに過ぎない。


何を表に出し、何を出さないかは、その人その人の自由意志による。

見えるもの、肩書き、聞こえる言葉、それだけがすべてじゃない。もしその人をよく知りたいのなら、熱のありかを探すんだ。

なぜ、その人はそうしているのか。どうしてもそうしなければならない理由、最終目的はなにか。



わたしを突き動かしているものは、どうしようもないほどの怒りだ。


くっそみたいな世の中への、抑えようのない、溶鉱炉のように赤黒く燃えたぎる憤怒。



だってそうでしょう。 世の中クソじゃないですか。

いいことあるよーなんてどうでもいい反論は置いておいて、わたしはずっとずっと、こう思ってきた。


本来仲間しかいない自分の職場で精神を病んでしまう人がいて、いじめを受けて人生半ばで命を絶たなければならない人たちがいて、

食料を与えられずゴミの中で餓死する子どもたちがいて、介護と称して虐待を受け続ける物言わぬ高齢者たちがいて、

外国人を殺せと畜生以下のことを大声で叫びまわる輩がいて、人間以下の扱いを受け働かさせられる若者たちがいて、

自分の恩師に性的暴行を受ける生徒たちがいて、身の回りには子どもを性欲の対象にするようなポルノ作品があふれていて、

くだらない常識論と一般論で人を平気で傷つける「自分の意見のない」人たちがいて、

働く女性を応援といいつつ幼稚園は数百人待ち、電車にベビーカーを載せるべきかのような議論が未だにされ、

たいした能力もないのに先生と呼ばれ金をもらう政治家が平気で差別発言をして、そんな政治家を選んでいるわたしたちがいて…


理不尽で、くだらないことばかりで、苦しんだり傷ついたりする人をただ量産するために稼働しているとしか思えない世の中。

今の社会システムじゃ、誰も幸せになれない。それなのに、変えようとしない。でも、社会は人だから、自分もたしかにその一部で。


じゃあ自分は、生まれたばかりで何も知らず、幸せそうにスヤスヤ眠る赤ちゃんを、このろくでもない世界にベルトコンベアーで送りださなくちゃいけないのか?苦しませるために?何のために?生きる喜び?自分もそうそう感じちゃいないのに?

夢を持てない若者を笑えるか? 人に希望を与えられるだけの人生を、じゃあお前は見せられているのか?

なにかの犠牲になり続けていることで、なにかをした気になっていないか?現状を変ようとせず、酒を飲んだくれながらグチをこぼすために働いているのか?なら自分の人生の責任はどこにあるんだ?

人間は本来、自分の人生を自分で誇れるように生きられるものではないのか?何のために今まで教育を受けてきた?自分の意志はどこにある?お前はなにがしたいんだ?なんで黙ってこのクソみたいな状況を受け容れているんだ?

本当に何もできないのか?理想論、きれいごと上等だよ。どうせいつか死ぬんだから、今ちゃんと生きろ。どうせ最初から恥だらけだ。このちっぽけな人生でどれだけできるか、やってみせろよ。

どうせ人生、ただ生きて、死ぬだけなんだから。


怒りというエネルギーを創造へ向ける

わたしは、ほとんどいつも何かに怒っている。

世の中の理不尽であったり、自分の至らなさであったり。

でも、怒りに任せて汚い言葉を吐き散らすだけでは、無為に人と自分を傷つけるのみの、ただの感情の放出で終わってしまう。

その感情をそのまま抱え続けることも、身を焼くようでとてもつらい。


しかし感情は使いようで、物理でならったように、ベクトルがネガティブであれポジティブであれ、エネルギーはエネルギーだ。要は使い方、力をどの方向へ持っていくかの話。

わたしは楽観主義者というより、このドロドロと燃え渦巻くエネルギーを、ポジティブなほうへ向かわせるのがうまいのだと思う。

不思議なくらい、怒りの感情をスッと、別の方向に向けることができる。


もう信じられない、この世は不幸だ。世の中終わりだ、ではなく、

よーしコノ野郎。負けてたまるか!! と。

だから、仕事をやめ、海外へ出て学ぶことを決めた。辛いことが多い世の中が、それを我慢していくことが、どうしても、許せなかったから。「北欧が良い社会だっていうのなら、それはなぜだ。何が日本と違うんだ?どうしたらいいんだ?」という疑問の答えを見つけるそのために。(結局こちらも必ずしも理想郷ではないと知ったけれど)

そして学んだことを形にして、実際に価値を生み出すために起業をした。それ以外に自分を活かせる方法が思いつかなかった。ふわっとした夢なんかが動機じゃない。こんな自分がなんとか生きていくため、ただそれだけの現実的な話。

そうでなければ、なにかのためにと動かなければ、負の感情があっという間にこの胸を黒く蝕んで、世界を壊したい衝動でいっぱいになっていた。


自分のためだの、人のためだの、そういうのの本当のところはわからない。人間は自分の脳で感知する世界が全てだから、どこまでも利己的で客観できない以上、適格な判断はできない。そのへんの言葉はあいまいでいいと思う。

ただわたしは、この自分の方法で自分を表現し、前に進んでいこうとしなければ、この世の中では生きていけやしない。それだけが全てだ。


基本、生きることはつらい。体もきつい。信じられないような目にも遭ってきた。それでもこれまで生かされてきた。だからわたしは、自分がここまで死なずに生かされた意味を知りたい。子どもは産めないけれど、何か別の形で価値を残したい。

そのために、生きているうちは、自分をあきらめるわけにはいかない。

たぶん、人の良心や持っている力を信じていることもまたわたしの真実で、だからこそ、ここまで憤りもするのだろう。


世界を変えるための怒り

自分と比べるのはおこがましい限りだが、大先輩がたを見ると、「世の理不尽への怒り」を原動力にしている素晴らしいクリエイター、起業家たちは、本当にたくさんいる。

その人たちは、怒りを言葉で吐き出す代わりに、エネルギーを溜めて溜めて、そして作品や仕事に一点集中でぶつける。だから、メッセージ性がある。そして、ある意味自分から世の中にケンカを仕掛ける姿勢なので、揺るがない。強い。


「作りたいから作る」のと、「何かのために作る」のとでは、見えているゴールが違うので、全く違うものができる。

たとえば絵画や、音楽、舞踊。幸せのさなかよりも、怒りや苦しみから生まれたほうが、エネルギー量が多く持続性があり、共感もされるので、より人の心を打ち、後世に残される。

歴史上、逆境がルネサンス作品やブルースなど素晴らしい文化を生み出してきたように、怒りや不遇からの反動(レジリエンス)というのは、人間の持つすごい創造力の源となるものなのだろう。


問題は、それを破壊に向けるか、創造に向けるか。


怒ってわめき、理性を捨て、負のエネルギーや暴力にまかせた破滅的な行動をとるか。

静かに自分に向き合って、そのどうしようもない衝動を、時間をかけて創造物へと変え、解決法を「見せつける」か。


どちらも、世界に影響するだけの力がある。とりあえず世の中はクソだけど、自分はさてどちらを選ぼうか。


思うに、隠れおこりんぼう人間は、より大きなものを生み出すために、怒りを溜めるために、なんでもないような笑顔でいるのかもしれない。そしてまた、「わたしの衝動は破壊には向いていませんよ… 今のところは」と示すために。


戦争や過激なデモだけが答えじゃない。

怒りや苦しみという感情から生まれる創造もまた、世界を変えるための力になる。

けれどもそのためにはやはり、たくさんのおこりんぼう人間の力が必要なので、こんな衝動と、表現する意志をもっともっと、多くの人に「前向きに」持ってもらえたらいいのにと思う。



今回も、読んで頂きありがとうございました。


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おおばやし あや

フィンランドで起業、国家認定ソーシャルワーカー。現在日本で講師業をしています。 http://s-a-i.fi

ぼくたちよ、常識論を破壊せよ

「常識」と書いて”へんけん”と読む…「常識論」や「幸せテンプレート」に苦しむ私たちの心を、少しだけ楽にするために。
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